最近、茂木健一郎さんの
「脳とクオリア」
興味深く読んでいます。
「脳と仮想」
に比べると専門性が高いので、100%理解・・という訳にはいきませんが、非常に面白いです。
“認識は「私」の一部である”
このひとことに、ものすごく納得。。
子供の時、列車の旅をしていて、車窓から踏切で待つ人たちを見て、「あの人たちにもそれぞれの生活があるのだ。其々の家に帰り、何かしらの日常が繰り広げられている」という不思議さ、当たり前のことなんだけど、自分自身が認識することと、他人の視点がこうも違うものか、、踏切で待つ人の視点や認識になったとして・・・そんなことを考えると、不思議でたまりませんでした。
中学生になると、宇宙のこと、宇宙が膨張すること、ブラックホール、太陽系銀河系・・・と、非常に大きな視点を与えられた時の、自己存在の意義を考え、不思議でたまりませんでした。
大人になってからも、外国に旅行に行ってみても、自分・・自己・・と言うものを連れてここに存在する。
自己というミクロコスモスを内包しつつ、ただこうしてアムステルダムの街角に立っているのだ・・・と思い、当然のような不思議な感覚になるのでした。
こんなこと考える私って、変ですかね??
でも、茂木さんの“”認識”は「私」の一部である。
よーく分かります。
すごく納得。
あなたが「黒」と認識しているものと、私が「黒」と認識しているものが、全く同一とは言えないよね。。
。。と。。
だから、同じ体験や、言葉や、、色々なものに遭遇しても、受け取り方一つで変わってしまうのも当然なんですよね。
さて、脳とソルフェージュ・・・
なんなの??
と言われそうですが、今はみんな発表会の曲を練習していますよね。
少しずつ音楽体験が増えれば、リズムや音型など、習得するのも速くなってきます。
それは経験値の問題。
そうは言っても、しっかり理解して弾かないと、とんでもない間違いをしても気付かず弾いている子もいたりしますが。。
今回は、特に小さい音楽経験の浅い子たちのことに特化してお話ししてみます。
指が動いていると、ついつい“弾けた”と思ってしまいがち。
子供のことを思えばこそ、小手先のことではなく「思考回路」を育てなければなりません。
考える筋道ならいいのですが、how-toばかりやっていても、小手先でちょちょっとやるだけの人間になってしまいます。
深い思考が出来る人には育たない。
すぐに見た目の結果だけに左右されない。
拍感、和声の流れ、メロディーの文脈(フレーズ)、指や体のスムーズな運び、メロディーに対して刻まれる伴奏の音型やリズム。。等々。。
色々なことが体に入っていないと、本当の意味で曲は弾けません。
「手は脳のしもべ」
と言っていますが、手だけではなく、体そのものが脳の“しもべ”なのです。
なので、いきなり幼い子に弾かせようとしても、酷なわけで、始めたばかりのおちびちゃんたちは、まずしっかりソルフェージュしてみる。
簡単に言えば、歌ってみる、リズムを打つ、歌ったりリズムを打ったりしながら、歩いてみたりダンスしてみたり。。
からだ・・・主には脳なのですが、脳トレするためにも身体を動かすことは大事で、頭だけ使うのは危険です。
特に幼い子に頭だけトレーニングするような事は、絶対に避けた方がいいです。(これは学習塾にも言えています)
高名な脳科学者の養老孟司先生(茂木さんレベルの人が尊敬するような方)も、「脳を鍛えるには筋肉を鍛えろ、と言っているのです」
と、冗談めかして言っていますが、ピアノを考えるとものすごく理解できますし、納得できます。
そして、手指のような、非常に緻密に動かさなければならないような、しかもそこには感情なども伴わせたい非常に繊細な表現を要求する場合は、まず歌って、リズムを感じて・・・要するに楽しんで、心でキャッチしてから初めて「弾く」・・と言う行為に結びついてゆきます。
メロディーが歌えたら、歌う気持ちで弾いてみる。
メロディーを歌いながら、伴奏の音型をリズムうちしてみる。
今度はメロディーを弾き歌いしながら、それをしてみる。
伴奏の形にもいろいろありますから、リズムが難しいもの、特徴的なもの、和音が子供にとって難しいもの、伴奏もかなりメロディックに動いているもの。。
色々です。
もちろん指導者が、説明しなければ分かりにくいと思いますが、和音にしても、歌ってみるのがいいと思います。
左手が弾けるようになったら、弾きながらメロディーを歌ってみるのが良いでしょう。
とにかく、“うた”は音楽の根幹です。
歌はまた、“呼吸”でもあります。
リズムも“呼吸”や“心拍”や“歩行”などと関係があると思います。
“うたう” “リズムを打つ” “踊る”
非常に重要で、基本です。
また、音楽は、“感情”だけのものかと言ったら、非常に緻密に彩られた数学の世界とも通じていますし、数学の世界が、「人間」と切り離されたものかと言ったら、それは全く違う。
ある意味、「宇宙的」だったり「哲学的」だったりすると思いますし、今回の冒頭に戻るようですが、自己という「ミクロコスモス」でもあったりすると思います。
ぁ・・・
いつものクセでちょっと小難しくなってきてしまいました。。
すみません。
こういうことを書くと、“私のことを書かれてる??”と思われる方もあろうかと思いますが、違いますよ~
今どきの傾向なんです。
社会全般の傾向ともいえるかな?
自己統合の為にも、音楽をはじめとする芸術的なことに触れることは非常に重要で、意味深いことだと思います。
最先端の科学分野をはじめ、哲学や心理学をする上でも、人の感覚というのは非常に大切で、思考を深める「鍵」になり得ると思います。
この、感覚や質感に対して、“クオリア”として、茂木さんが多方面から思考を深めていらっしゃるようにお見受けしました。
メンドウな話は横に置いといたとしても、とりあえず、
歌ってみて下さい。
リズムを打って、踊ったり身体を動かして楽しんでみて下さい。
これがソルフェージュの基本で、またリトミックの世界でもあります。
昨日は用事があって、ちょっと東京に日帰りで行ってきました。
せっかくなので、何か美術展・・・と思ったら、上野で「モネ」をやっていたので、行ってきました。
セザンヌが「モネは“目”に過ぎない。しかし何という目だろう」
と言ったそうですが、これも脳がどうとらえるかということになると思います。
人は何を、どういう視点でとらえてきたのか。
先日の広島県立美術館での「クレラー・ミュラー美術館展」・・これは、点描を中心とした作品群ですが、写真の技術も一段と上がってきた近代において、光学的にとらえた場合の考え方から来ており、点描によって遠近法から解放される・・・とも言われています。
モネをはじめとする“印象派”を通過し、“点描画法”の考え方や“キュビスム”など、多くの試みがなされました。
ちょっと小難しい話になってしまったかもしれません。
“死と再生” “破壊と構築”
こういうことを繰り返し、人類は歩いて来たのかも知れません。
「人とは何か?」
といつも問い続けている。
ゴーギャンの問いは、私たち自身の問いでもあります。
「人はどこから来て、どこへ行くのか? 我々は何者か?」
幼い子供も、どんどん成長し、大人に何かを問うてきます。
それが言葉であったり、態度であったり、問題行動であったり。
そんな子供も、何かしらの形で社会に参加する大人へと成長します。
今日が何も変わらず明日になるわけではありません。
何かしらが少しずつ変化し、動いてゆく。
鴨長明の「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の断りをあらわす。驕れるものも久しからず。ただ春の夜の夢の如し。」
沁みてきますね。
心豊かな人に。。
これはある意味、脳の問題だとも言えるし、またそのためには、頭の中だけでなく、身体を通じて脳、心を鍛え育てたいと思うのです。
それがまた、優しさだったり、思慮深さだったり、深く観て感じ考える事だったり、カンやアイディアやセンスだったり、人としての強さや尊さだったり。。
そんなことを日々考えるのでした~~
ちょこっとだけ最後の“おくちなおし”に画像を載せておきま~す~
雲間からちょこっと見える富士山が綺麗
東京湾に浮かぶ船たちとそれが織りなす波の白い線と朝日が綺麗・・絵が描けるならかきたい
モネは人気・・凄い人でした
ロダンも、いつ見てもいいね
ついでに東京タワー
先週の雪がまだ残っていて、東京にしては10年に一度ぐらいの大雪だったので、今週はお天気に恵まれて良かった~