最近、子供たちに
「本読んでる?」 と、問うてみます。
私が子供の頃無類の本好きだったかと言ったら、そんなことはありません。
きわめて普通だったと思います。
普通に買い与えられた少年少女文学全集・・・的なものを、少しずつ読んで、学校から少しずつ借りて・・・
その程度でした。
もっと読んでいる子は、いくらでもいたと思います。
ピアノなど習っていると必ず練習時間は確保せねばならず、遊びにも行かなきゃならないし、テレビも見ていました。
子供の頃は、もっぱら絵本で、グリム童話やイソップは繰り返し読んだと思います。
絵本の色が意外に抑えられたトーンのものもあり、今考えると、それはそれでよかったなと思います。
熊田千佳慕さんの絵などを配した絵本などお世話になったと思います。
小学校低学年は、もっぱらファンタジー。
「長くつ下のピッピ」「ドリトル先生」シリーズ、「魔法のベッド」・・・
4年生の時「黄金虫」という、ミステリーのようなものを始めて読んで、あんまり好きじゃないなと思った割に感想文を書いたりしていました。
「十五少年漂流記」(「2年間の休暇」1888年ジュール・ヴェルヌ)「海底2万哩」(1870年ジュール・ヴェルヌ)・・・椋鳩十さんの動物に関する本もありましたね。
6年生の時印象に残ったのは「今日も生きて」・・・非常に教育的意図があったのかも知れませんが、面白いと思って読みました。
中学生の時は、これぐらいは読まなくちゃ・・と思い、「坊ちゃん」「吾輩は猫である」は読んだものの、読みこなしてはいませんでした。
読みこなしていないと言えば、6年生で「真実一路」を無理して読んだので、全く理解してはいなかったです。。中学生で読んだ、遠藤周作の「死海のほとり」も全く・・・
でも、読んでみようとは思ったんです。
ヘルマン・ヘッセとか・・・
けな気というか・・(笑)
それでいいんだと思います。
その頃はその頃の理解力で、とりあえず読んでみる。
「アンクル・トムの小屋」等は、子供にも理解しやすいでしょうね。
「クローディアの秘密」「秘密の花園」「思い出のマーニー」「ふたりのロッテ」「飛ぶ教室」「モモ」「はてしない物語」「ジムボタンの機関車大旅行」等々・・・実はこれらの本は大人になってから読みました。
物語に入る時、初めの何ページかは我慢して読まなきゃいけませんよね。
その物語の場面設定に自分が入り込めるための、作者が用意した空間があるので。。
映画でも何でもそうですよね。
ただ、今どきの子がこれに耐えられるのか。。
これが出来ないとすれば、かなり幼稚だと言わざるを得ません。
ちょっと厳しいようですが、それでは困るんです。
少なくともピアノを弾くことができる精神状態に育っていないということになりますし、それで大人にはなれないかなぁ・・
さて私の話に戻りますと。。
中学生の時は、既にピアノの練習で時間はあまりなく、一番楽しかったのは星新一シリーズだったと思います。
今考えても示唆に富んでいるな・・と。。
本当の贅沢って何だろう・・とか、便利便利と色々なものが出来るけど、「人」が置いて行かれているような未来図・・・どこかチャップリンの映画にも通じるようなところもあるなと思います。
高校の時は、全く・・・
ただ、中高で言えていることは、国語の本の中になかなかいい作品があって、とりあえずそれを読むだけでも大いに違ったなと思います。
未だによく覚えている印象的な作品の数々がありますし、そういうものに関しては、国語に限らず何年生でどんなことを勉強し、どんなことを考えたのかということは、昨日の出来事のように鮮明です。
本をよく読むようになったのは、大学生以降・・仕事を始めたら、よけいに読みました。。経験不足を補いたかったから、そして自分の生き辛さを埋めるためでした。
テレビはおそらく2歳前後からだったと思います。
まだ妹は生まれておらず、テレビ体操を熱心にやっていました。
ケネディー大統領の娘さんが話題になっていますが、恐らくオンタイムで見ていた気がします。あまりの出来事に、子供にとっては理解しがたい衝撃的な暗殺事件でした。4歳の時の出来事です。
テレビ番組は・・というと、幼稚園の頃は、「鉄腕アトム」「名犬ラッシー」等がお気に入りで、天気予報などで鳥取があるのに米子がないのが不思議で、鳥取県の中の米子市・・・中国地方の中の鳥取県、日本の中の東京都等、理解するまでに説明がいりましたね。
子供って自分を中心に世界が回っていますので、自分の位置関係を理解するのにひと手間かかったという訳です。
そのうち「チャコちゃんはーい」等の子供向けの番組のセリフを盾に、親に口答えしたりしていました。
ウルトラマンの前身の「ウルトラQ」印象的な話もありますし、初めに映し出される映像や音楽もはっきりと覚えています。
高学年になっていくにつれ、ドリフターズの「8時だよ全員集合」なども放映され、時々見ていました。
子供にあのナンセンスは面白かったんです。
他にもいろいろありました。
ただ、今思うと、テレビの画像の影響は、子供にいい影響を与えるもんじゃないなと思います。
けっこうダイレクトな印象と情報なのです。
子供が大人を出し抜き、事件を解決し、大人はダメな役回りをする。
そういうことをすり込まれると、自分を中心に回っている子供は、なかなか自分という未完成な存在を理解できないまま、親や先生に馴れ馴れしく口を利く・・・という構図が刷り込まれている気がします。
子供にとっては痛快ですからね。
「長くつ下のピッピ」も、権威・・としての大人には痛快な反逆のようなことはしますが、そばにいないお父さんやお母さんには、非常に愛情を感じています。
権威としての教師が、学校に来させようと「デンマークの首都は?」等と尋ねると「そんなのは知らないけど、お父さんと一緒にコペンハーゲンに行ったときは・・」等と、痛快な答え方をしています。
でも、不確かな記憶なので、デンマーク・・コペンハーゲン・・だったか、他の国と街だったかは定かでありませんが、内容としてはそういうことです。
最近、子供の時に読んだ本で、とても気になっていた本があって、実家にあるか尋ねたら「ない」というので、諦めかけていたところ、書棚から出てきました。
「ベッド・タイム・ストーリーズ」まさしく寝る前に読む本で、キリスト系の幼稚園から買ったのか貰ったのか・・・聖書を土台にした考えで、子供用に書かれた本でしたが、なぜかボロボロになるまで読んでいました。
小学校の時を通しても、なぜか繰り返し読んでいました。
読みやすい長さだったからかもしれません。
ちょっと何か読んで寝よう・・と思うときにうってつけだったんですね。
私はどちらかというと仏教徒・・・仏教思想を言われた方が、馴染める、とは思います。
全く、宗教心なんて言う素晴らし物はないですが、宇宙の節理のようなものがあるのだろう・・くらいには思っています。
でも、自分の考え方の根幹に、子供のときに読んだ、「ベッド・タイム・ストーリーズ」の精神は、刷り込まれているなと感じます。
本を読むことは、「体験」だと高校の時の国語教師が言っていたのですが、そうだなと思います。
入試問題の文で、本は知力でなく体力で読む・・・というのに出くわした時がありますが、まさしくそうだと思います。
やはり自分の体験と照らし合わせながら読んでいるので、「そうだよな~」と思うか「え・・なんで?」と思うか、色々ですが、そこからは自分の体験や考えなしに汲みとることは出来ないのだと思っています。
そういう意味で、子供たちには是非、本も読んでほしいし、お母さんがたのお手伝いもしてほしいのです。
ちゃんと考えないと出来ないことを・・です。
多少の危険や面倒はついて回りますが、お料理や掃除洗濯に関することは、是非一つでもやらせてあげてください。
そこに工夫があったり、気付きがあったり、そういう体験を「あえて」積極的にやらなければ、「心」や「精神」がなかなか育たないのでは・・と、危惧しているのです。
もちろん私は「良い子」ではなかったです。
たまたま子供の時のことをよく覚えているので、それが50年以上たった今、こういう風に作用しているのか、検討する材料には事欠かない。。と言ったところでしょうか?
まだまだ書けてしまいそうですが、長くなりそうなのでこの辺で~
画像が横になってしまいましたが、、私にとっては門外不出の大切な本です。