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Channel: 米子 西野ピアノ教室
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書店と図書館に行ってみたら・・・♪

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先日今井書店に行ってみたら、WEEKLY BEST 1 に岩宮恵子さんの「好きなものにはワケがある」

NO.1shine

になっていました!flair

好きなのにはワケがある: 宮崎アニメと思春期のこころ (ちくまプリマー新書)

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山崎豊子さんの最期の著作で話題の「約束の海」を抑えて、No.1shine !

とても分かり易く書かれていますから、是非お読みください!

中高生に向けて、みなさんもそんなことありませんか?・・・のような文体で書かれていますが、大人が読んでも良いのですよ。

どれだけ分かり易く書くのか・・・が、書く人にとって最大の課題。

専門用語を並べたてた方が簡単なのですが、理解していただくためには、分かり易い言葉で、分かり易く書く・・・そういうことだと思います。

ぜひぜひ~~

さて、米子美術館横の「ハタノ」さんで、美味しいフルーツたっぷりのモーニングを食べ、米子図書館に行くのも、最近の楽しみ。。heart02

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今井書店錦町店に行って本を見たり注文したりして、ラ・バールで美味しいカフェラテ飲みながら本を読むのと、ちょっと似たお楽しみ。。heart02

そして、米子図書館で、初めて本を借りてみました。

池田晶子さん

初めて知りました。

分かり易い言葉で哲学する・・・哲学エッセイ

そんなことをしていらっしゃいました。

1960年生まれの、私と同じ世代。

おお~

と思ったら。

2007年没

若くして亡くなられたんですね。

「私とは 何か さて死んだのは誰なのか」

「魂とは 何か さて死んだのは誰なのか」

「死とは 何か さて死んだのは誰なのか」

ご自身の生死をもって、哲学された方のようです。

「知るより 考えること」

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読みました。

私と同じことで、怒ってる(笑)

非常に共感しました。

図書館に行かなければ分からなかったなぁ~

いい本、いい著者に出会えてよかった。

池田さんの魂とお話ししてみたいと思っています。

もちろん本を通じて。。

「14歳からの哲学」・・・考えるための教科書

「人生のほんとうのこと」

書店で注文してみました。

もう一つ借りたのは。

小林秀雄講演集のCD

もちろん以前から言っている、昭和の3賢人「3人の秀ちゃん」のお一人。

茂木さんも、岩宮さんも、池田さんも・・・

おそらく多くの知識人が、この方の語る言葉に共感しています。

茂木さんなど「親友だ!」

ぐらいの勢い・・・もちろんもう亡くなっていらっしゃいますから、魂の次元でのお話です。

4×2枚

計8枚のCD

もう繰り返し10回ぐらい聞いています。

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今借りている中で、本居宣長について多く語っていますが、1730年生まれの本居宣長

ハイドンと同じくらいです。

方法論・・・つまりhow-toばかりやっていることの愚かしさを、もうこの時代から語っている。

これは本居宣長 言。

コンピューターは、細かくはなっているが、詳しくはなっていない、と、氏は語っています。

もう30年以上前に。

本当に怒っている。。

非常に共感。

「どうやったらいいんですか?」と、何も考えないで、how-toばかり聞くことの愚かしさ。

子供たちに伝えたい。

そして、やはり大人自身が、自分は大丈夫かと、自分の胸に手を当てて考えてみるべきだと思うのです。

もちろんまず自分自身。

自分は大丈夫と思うこと自体が、怖いことなんです。

ぁぁ・・・

もう、レッスンの準備しなくちゃ!

そそくさと、終わります。

お口直しに、スーラの絵葉書

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ただ綺麗なだけじゃないんです。

でもこのお話は、またの機会に。。

ついでに佐野洋子さんも~

Dscn0256

そうそう、小林秀雄の言葉の一つ。

「分かる」ということは「苦労する」と、同じ意味なんです。

非常に納得。

そういうことなんだなぁ~pig

人生は意味深い~wine


照明器具の調子が悪く・・・(^-^;

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金曜日夜、まどみちおさん、亡くなられましたね。。

って話をしたとたん、照明がぱぱぱ・・・とダウンし、点けても点けても強中弱・・・ぱぱぱ・・・と、ダウンするので、びっくりした。。

ピアノの上の照明は大丈夫なので、レッスンは出来るんだけど、お母さん・・・暗い中でレッスン見守る・・・みたいな感じになっちゃいましたcoldsweats01

困ったのは、翌日土曜日の聴音レッスン。。

テーブルの上の明かりがないと、音符書きにくいよね~~

ってことで、ちゃぶ台を玄関ホールに出して、両サイドのお部屋からエアコン利かせ、「今日はコート着たままでいいよ」と言い、「ピアノ聴こえる?」と、ちょっとばかり大きな声を張り上げ・・・

いつもにない感じだったので、楽しかったですhappy02

Dscn0288ダウンしてこの状態・・

Dscn0291みんな~きこえる~~??

Dscn0290はーいダイジョウブ!5~6歳児さん

イイ感じです~note

「うちの夫を派遣しましょうか?」と言うお優しいメールまでいただき・・・感謝感謝heart02

基盤がなんちゃら・・ということで、電気屋さんに交換してもらいました。

今は復興しております!

夕方の聴音の子たちは、ピッカピッカの新しいLEDライトで、ばっちり・・・

と言いたいところですが、とにかくこのグループ(小学校高学年)はウルサイdash

口が動くぶん、頭や耳がお留守になることも・・・一般的に言えばとれてる方なんですが、私には「ボケボケさん」と言われます。

マックスのボケボケだから、「キミらはボケボケッシモだわ!」(注 フォツティッシモと同じ、強め・・最上級だわ~)って言うと。。

「わーい、ボケボケッシモだ~!!」

と、喜ぶ始末・・gawkban

しかも、レッスン終わりごろ、同じ年頃の新しいピアノレッスンの生徒さんが、部屋の外で待っているのを見ると、大興奮dash

「えーーえーー新しい友達??  I ちゃんの代わり??」

と、2か月ほど前に、家の都合で県外にお引越しした友達を思い出して、新しい友達に湧きたって。。。

「変わり・・なんてあるわけないじゃん。。しかも、キミたちがうるさ過ぎて、このクラスはイヤだって言うかもよ」

といっても、コウフンは納まらず、ドア越しに覗き見してる。。。ホントにチミラは~~

おとなしいお嬢様風な新人Sちゃんですが、まずまず気に入ってくれたようで、次回のレッスンから聴音のクラスに入ってくれそうよnote

この記事みて、またまた興奮するんでしょうかね??

最近は哲学思考が押さえられず・・・って言ってもおバカな私のことですから、大したことないですが・・pig

池田晶子さんや小林秀雄さん、ひいては本居宣長に感化され・・・いやいや・・元々方向性は全く同じなので、言葉をたどって納得しまくる・・と言う構図ですflair

今週は、

「分かる」ということと「苦労する」ということは同じ意味なんです。

本当にそう思うわ!

と、何度も何度も言い、ちゃちゃっと表面的に分かったつもりでも、腹の底で解る。。ということにはならないよね。

と、しみじみ生徒さん達と語り合ってました。

だいたいは私が一生懸命語る・・・みたいなことなんですが、先日最後のレッスンの高校生の子と語っているうちに、泣いちゃって・・・大丈夫かな・・と思ったけど、「感動した・・」って。。

感動的な話をしたんじゃないんですよ。

私たちが生きて、こうして出会って、語り合ってる・・・そのこと自体が本当に不思議なことなんだよねって。。

そういうことを心の深いところで分かってくれる子です。

ご両親の愛に支えられ、本当の意味で賢く、私の話にも耳を傾け理解し、考え・・・

与えられた一生を、深く考えながら生きてゆくのだろうと思います。

彼女なら、本当に素敵な大人になってゆくって確信しています。

ぁ・・・

またカタかった??

最近イイ!・・・と思った言葉を並べておきます!

diamond「もののあわれを知る」ということは、心が練れることなんです。

 (生きることそのもののはかなさを知ることなのかもしれません。諸行無常。普遍性はあっても不変はない。)

diamond学問は、方法に頼るのではない、自分の力で発明するものです。

 (方法論に頼りhow-toに頼ると、自分でものを考えない人が育ってしまいます)

diamond自分で考えるということは、自分の個性と戦うことです。

 (個性はスペシャリティー・・特徴いわんやクセ・・ではない。努力の結果、戦い乗り越える精神・・オリジナリティーが個性・・人と変わっていることではない。。そこに普遍性が生まれ、真の芸術となる。)

diamond「分かる」ということと「苦労する」ということは同じ意味なんです。

 (3匹のコブタのお話を思い出してください。じっくり時間をかけてやることが本物なんです。)

diamond「知る」ことより「考える」こと

 (情報をたくさん知っているだけでは、本当の賢さは育ちません。)

diamond人生の目的は魂の世話をすることである――ソクラテス

一人納得して語ってるんで、無視してもらっていいです~

なんか引っかかるなぁ・・・と言う方は、味わい深く言葉を感じてみて下さい~

pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine

さて、たまたま時間があったので、めちゃくちゃ若い元生徒さん20代男子を誘い、焼き肉へ!

大力家族亭・・・久々行きました~

ガッツリ食べて、美味しかったです!

写真: 西野先生と大力家族亭に。遠慮せず、ということで昼間から豪華なご馳走を頂きました!
色々な話をさせてもらいましたが、やはり内面を磨いていくことが必要であると感じたところです。

またまたアツく語ってしまいcoldsweats01・・・嫌がらず付き合ってくれるんで、ありがたいことですshine

pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine pig wine 

冒頭の、まどみちおさん・・・「ぞうさん」をはじめ、数々の名作を世に送り出した詩人です。

非常に優れた絵もお描きになっていました。

宇宙的な画でした。。お花畑の描いてある童画のようなものとは全く違っていました。

心の風景なのだと思います。

104歳 ご冥福をお祈りいたします。

winepig winepig winepig winepig winepig winepig winepig winepig winepig winepig winepig winepig winepig 

照明器具は復興して、四角から丸型へ~

Dscn0292

LED照明で明るくなりましたflairshine

では~pig

またまた~お久しぶりです~

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やれやれ~

いろいろ一段落つきましたcoldsweats01

受験・・確定申告・・で、やっとプログラム作成pc

確定申告、ほぼ税理士さん任せなのですが、それでも「あの書類はどうですか?」「この証明書はどうですか?」「領収書はこれだけですか?」・・・等々、足し算引き算出来ない~shock~意識がこちらにまるでいかない性分なので、いつもこの時期アタフタしていますsweat02

こういう方向の脳を使えない。。

そんだけ煮詰まって大変な状況なのに、本読むのだけは止められない・・・sweat02

バカじゃない??・・・そうバカなんだわpigsweat02

やっと、発表会の2台ピアノなど、練習に入ります。

うちに来たばかりで慣れない生徒さんには驚きかも知れませんが、楽譜もらって2~3週間で本番・・・なぁ~んてザラです。

大きい生徒さんなら、2~3日後本番もゼンゼンあり。

2台ピアノや連弾は、キホン楽譜見てOKなので、いつもこうです。

どちらにしても、ホールから“2台ピアノ使用可能確定”のお達しが来るのが1ヵ月前なんで、シカタナイっちゃぁシカタナイ。。

それでも、スタインウエイ2台使えるって、メチャメチャラッキーshine恵まれているんですよshineshine

最近の読書は、もっぱら“池田晶子”さんbookshine

亡くなる前、ご自分の“死”をも、徹底して冷静な目で哲学思考をされた。

最終的に、ユング派の心理学への可能性を追求していらっしゃって、ここも非常に共感できるところでした。

自分が自分である不思議さ。

世界を、いや宇宙をも認識できるのも、また自分でしかありえない。

自分・・・私・・・という存在は何なのか?

どこから来てどこへ行くのか?

全存在をかけて思考していらっしゃる。

命がけの思考は、本当に冴えわたっています。

小林秀雄も、養老孟司先生も、茂木健一郎さんも、重松清さんも、是枝監督も、手塚治虫さんも、もちろん河合隼雄先生も、、孔子もソクラテスも本居宣長も・・・はたまた作曲家全ても、全存在をかけて・・・

と言えるのです。

・・・って書くと・・

?????

が並びますかね~coldsweats01

この問いなくて、「芸術」も「学問」も何もかも語れない。

モーツァルトは、彼の手紙の中で「自分は平凡な人間だ・・」と言っています。

ブラームスもしかり。

小林秀雄も「自分たちのような凡人は・・」と言っています。

感じる力、見抜く力、本当の意味で「聴く」ことが出来る人。

昨日も生徒さんに、

「尊大な態度をとる人に、大した人はいないよ。 ノーベル賞の山中教授が、“その受賞の知らせを受けた時、何をしていましたか?” と聞かれて、“家内に洗濯機の調子が悪いからみてくれと言われ、修理していました” と言っていたのを覚えてる? 本物って、そういう人だから、大抵の人は気付かないのよ」

という話をしていました。

今回の、なんちゃら細胞のなんちゃらさんという若い女性。。ニセベートーヴェン騒ぎ。。

大抵、その人の中身そのものでなく、その周辺のアクセサリー。。

つまり、

こういう障害を持っていて、とか、こんな人生をたどってきて、はたまた、こんなブランドを身につけていて、、こんな読書感想文を書いていて、どこそこ大学を出ていて、どこそこの外国に留学していて、、どういう地位で、年商はこうで、、立派なお家柄で、、成績はどうで、順位がどうで、

こういう周辺のことでしか、物事を見たり聞いたりできない、情けない状態なんです。

社会全般が。。

小林秀雄は、この事を厳しく追及しています。

そういう「属性」と戦ってこそ、真理があるのだと。

ムズカシイですかね~

私の言ってること~pigsweat01

偏差値で物事を計るから順列が出来て、まるで「カースト制度」なんです。

士農工商、五人組

徳川幕府が作った制度は、そうとう機能し、江戸時代以降の日本人のものの見方に、相当影響を及ぼしたのではないかと思います。

乞食のような百姓から出た、豊臣秀吉のような人間は、なかなかでないのかも知れません。

なんで、地方の一介のピアノ教師が、こんな“ゴタク”を並べているのか・・・って。

心配なんです。

子供たちの未来が。

こども=人間の未来

と思っているのです。

今10歳の子。。

あなたは今、「子供たちのために・・」って言われて、自分のことだと思っているかも知れないけど、それはちょっとだけ違う。

あなたも10年もすれば、その対象外となる。

今対象外の人も、過去にそうであったし、これから生まれてくる人たちもいる。

そういうことの繰り返し。

手から手へ、心から心へ、、受け継いでゆくのが、人の歴史。

そういう視点も大事なのです。

モーツァルトの妻コンスタンツェは、彼の死後、初めて、自分の夫が天才だったことを知ります。

バッハも、高卒でしたから、当時の人からどれだけ注目を集めていたかといえば、テレマンやヘンデルには遠く及ばなかった。

歴史の波に洗い流され、大事な「結晶」だけが残った時に、始めて「本物」が分かるのでしょうか?

今回の、ニセ事件や、捏造疑惑事件、、かなりの専門性がいることなので、その道のプロが物申さなければ、分からないことなのかもしれません。

マスコミは、ほとんどバカで、近所の奥さん同士の井戸端会議と変わらない・・・と言ってしまったらひどいかしら??

井戸端会議の方がマシかもですよ~

小林秀雄は言っています。

「諸君は、何でも託すだろう。。新聞に託す。テレビに託す。。雑誌に託す。。自分で物事を考えない。」・・・と。

演奏は、自分で考えないと、非常に希薄なものになりがちです。

しかし、希薄かどうかさえ、「鍛えた耳」がなければ分からない。

とってつけたような「身振り」と、アクセサリーのような「ものがたり」でしか判断できない人が殆ど。

「目」と「耳」と「感受性」と「思考能力」を鍛えよう。

声を大にして言いたいです。

じゃないと、子供たちの未来は、暗い・・・どころか恐ろしいことになってゆきます。

間違った思想に、簡単になびいて、恐怖のどん底にだって行きかねない。。

で、

こんなことを書いていると、「変な人だ」と思われて、「魔女狩り」にあうと、池田晶子さんは表現していましたが・・・coldsweats01

さぁて~

今日もお友達と、楽しお食事ですhappy01restaurantcafe

先日、大学生の元生徒さんとランチした時、

「ソクラテスがね。。自分のふさわしい魂の相手を見つけ、そこに種をまくと、そこから新しい言葉が生まれる。それは永遠に途切れることがないって言ったんだって。。」

と話すと、すごく真顔で、

「ソクラテス! めっちゃ感動しました!」

って。。

「人生の目的は、魂の世話をすることだ」

と言ったそうです。。

ソクラテス。

沁みるなぁ~~

では、お出かけの準備だわpigshine

そろそろピアノ周辺も片づけなきゃね~

では~~

子供たちに語りかけていること

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レッスンでは、キビシーく怒ったり、強く語りかけたり、ユーモアを交えてフザケたり、切々と問いかけたり・・・

イロイロです。

ご理解いただきたいのは、これらは全く意図的にやっているということですpig

強い口調で話していても、感情に任せて怒りを爆発させることはありません。

前の人が怒られているから、それが波及して次の子も・・・ってなこともまずありません。

それは、前にもちょこっとだけ書いたことがあるような気がしますが・・・

ここのところ思うんです。。

強い口調でものを言っているときは、やはり「なにか」を、「壊す」・・・という行為なのだと思います。

その「なにか」・・・

ある子のレッスンで・・・これはすごく怒っていたのではありませんが、泣いていたんですね。

お母さんは「なんで泣くのか、全然わからないわ」

とその子にむかって仰って、少し呆れ顔でした。

で、わたし・・・

「○○ちゃんが泣くのは、分かるんよ。。だって、○○ちゃんが大事、と思って常に持っている、“ライナス君の毛布”を、先生が“それはいらない”って言って、引っぺがそうとしているんだからね」。。。

あなたが“大事”と思っているものは、演奏には必要ないんだよ。

年若くしてもう身に“蓄え”てしまった「なにか」・・・そんなものはいらない。

あなたの素のままを出せば、それが一番素晴らしい。

それを掘り起こしたくて、言っているんだよ。。と。。

“上手く弾こう”なんて、気負ったり、気取ったりしなくていい。

自然な姿で・・・これは、体の面からも心の面からも・・・誠心誠意純粋な「魂」の声を聴きたい・・・そんな思いです。

何も難しいことを言っているのではありません。

指・・・ではなく、「心」が動き、語っていなくては、音楽にならないんです。

それは、幼い子が弾く“おつかいありさん”だって、“メリーさんのひつじ”だっていいんです。

何も、ベートーヴェンのソナタや、ショパンのバラードを弾かなくてもゼンゼンいい。

“心が動いているか”

これに尽きると思います。

人ごとのように演奏している子もいるので、これは厳しく追及されます。

“私ちゃんと弾いてますけど何か?” みたいな演奏なので、

「ダレが弾いてんの!?」

と、厳しく追及されます。

「心」

が動いていないからです。

他にも、思春期特有の「なにか」をまとってくる子とかね。

この気持ちは、よーく分るので、それなりの言葉で語りかけます。

当の本人も、なんでモヤモヤ感があるのか、よく分からない。

そのよく分からなさがよく分かる・・って言うのかな~

こういう場合は、ゆっくり語りかけます。

「心」「頭」「体」この3つがどれも使われていなければ、いい演奏はないと思います。

幼い子供の場合も、幼いなりの頭の使い方があります。

高校生くらいになると、下手をすると「頭」が先行し、味わったり、感動したりすることを後回しにしてしまう場合も、無くはないです。

そういう場合は、「一生懸命考えて弾いているのは分かる。 真面目に取り組んでいるんだよね。 でも、それが先行しすぎると、理屈っぽくなっちゃうんだよ。」

一生懸命考えているのですから、こういうことで怒ることはめったにないです。

ただ、頭が固すぎて、ガードが固すぎると、そのガードしている鎧を剥ぎ取るために、一芝居。。強い口調で物申すこともなくはないですが。。

半年くらい前に、高校生のレッスンでそういうことがあった時は、強い口調で言わなくても、私が言うことを理解してくれました。

でも、涙ぐんでいたかな。。

自分でも思い当たる“痛いところ”を付かれた感じだったのでしょう。

そういう場合は、考え方の問題なので、その一言で、次のレッスンでは大きな変化をしていました。

「音楽を聴けば、○○ちゃんが、悩み考えた事が分かるよ。。」

と言うと、また涙ぐんでいました。

今度は嬉しかったのだと思います。

佐伯祐三と言う画家がパリに留学し、友人に伴われて、ヴラマンクという巨匠に画を見せたところ、「君の絵は上手い。アカデミックだ。」と言われたことに衝撃を受け、己の画業を打ち捨て、新境地へと入っていきます。

死に物狂いの格闘でした。

実際、体も心もボロボロになり、30歳という若さでパリに没しています。

アカデミックという批判を衝撃的に受け取る力も、また相当な感受力・・・と思ってしまいます。

凡人にはそこまでの感受性はないですからね。。

もちろん私も凡人ですからムリと言うものです。

でも、「凄い!」と思う心はあります。

思考停止を招く「○○主義」、芸術作品を曇らせる浅薄な「知識」・・・と、小林秀雄の本にありますが・・・

ちと、ハマっておりますね~coldsweats01

。。。

最近、絵を見たり、本を読んだり、、そう、テレビドラマをちらっと垣間見ただけでも(ずっと見ているのはきついのでcoldsweats01sweat01)、もちろん子供たちがコンクールなどで弾く立派な演奏を聴いても、日本人って、ある「型」にはまりやすい性質を持っているのかなぁ・・なぁんて思ってみたり。。申し訳ないけど、審査する方ですら多少そういう傾向にあると感じています。

「型」にはまっていると、間違いない・・・と言う安心感が生まれるのでしょうか?

どうしても、人と同じことをしたがるという性質・・・国民性・・・???・・・

そこまで、私は専門家でもないので分析できませんが、「ハズれる」と言う「リスク」を負うことが、怖い・・・???・・・というか、避けている・・・???・・・

「自分はこうだ!」

と、勇気を振り絞って立っていることから逃げてしまいがちなのかな~

こっちのことを思考し始めると、またまたながーくなってしまいそうなので、今日はこの辺にしておきます。

自分の力で考え抜くこと。

閉塞感のある今の日本で、将来を担う子供たちに必要なことのような気がします。

勇気が必要ですね。。

ちと難しい文でしたでしょうか??

すみませんでしたぁ~pig

読書・・そして、ピアノを弾くこと

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読書とピアノを弾くことは、何か共通点があるのか?

と聞かれたら、

「それは、作者との対話です」

と、答えるでしょう。

絵を見ることも、おそらく演劇などを見ることも、「対話」であり「体験」なのだと思います。

不器用でも、「なにか」がある演奏。

それは、曲から何かしらを感じ取り、音として表現されているということだと思います。

もう少し進めば、曲の構成、転調や和声の移り変わり、リズム、伴奏形の動きや変化、メロディーの動きや装飾される音たち・・・

そういったあらゆることから、作者との対話が始まります。

本当に細やかな、繊細な世界です。

作曲や楽理、歴史観や作曲者の人生観、その時置かれていた状況など、多くのことを学ぶほどに、作曲者との対話は深まります。

では、読書は・・・?

よく、同じ作品も、読む時期や年齢によって、様々な受け止め方の段階があると言われますよね。

前に読んだ時と、少し違う感想を持った。

など。。

やはり、自分が体験し、考え感じていたことが、「読む」・・と言う行為に、力を与えているのではないでしょうか?

本を読みながら、

「うん!そうそう!」

「へ~そうなの?」

「なんでかなぁ~」

「それはないでしょ~」

「なーるほど!」

皆さんも、いろいろ思いますよね。

これって対話の始まりですよね。

「私も同感!」

「いやいや、そうは思わないわ」

から、自分の考え方や感じ方が、はっきりして来たりして、振り返ったり、確認作業が出来たり、

「そういう考え方もあるんだ!」

と、感動したり。。

絵本、童話、児童文学、小説、、

こういったジャンルは、圧倒的に「体験」が主でしょう。

村上春樹の本をお借りして読むと、そこにはシュルレアリズムのような絵画的な世界観の中で、少し戸惑いつつも冷静に感じ思考して、あちらの世界とこちらの世界をすり合わせながら、その中で触れたり感じたりしつつ、調和のような折り合いをつけて、現実世界をよりよく生きる・・・そんな世界観かなぁ・・・と感じていますが、村上ファンの方、そんなとらえ方ではダメでしょうかね~coldsweats01

ついこの間・・・そう、ひと月ぐらい前に知ったのですが、「小説」というのは「小人(しょうじん)の説」という意味らしいですね。

最近ハマっている、小林秀雄が言っていました。

もう、敬称を付ける以上の存在なので、何かの固有名詞化しています~

文学について語っていたのですが、ロマン派以降は「駄作」が増えた・・と・・・

「告白」が始まった。

自分の人生はこうで・・・とか・・云々・・

こういうことは、フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーから始まったのだそうです。

「エミール」「社会契約論」などで、中学生でも知っている有名な学者。

もーちろん、読んだことなどありません~

で、このblogでもご紹介したことはありますが、彼は音楽家でもあったんです。

子供の時に練習する、フランスの練習曲集「ピアノの練習ABC」の最後から何番目かに、

「3つの音による歌」

という右手はたった3音、左手はちょっと音が多くてしかも静かに弾かないといけないから、ちとムズカシイ・・・と言う曲やら、

「むすんでひらいて」(オペラの中の曲)

など、私たちにも意外におなじみの作品があったりするのですが。。

この方、壮年期には実に立派なことを書き、立派な仕事をした方なのですが、人生の最後の最後で、道徳的にはどうなんだ???

というようなことをやらかしたり、書き綴ったりしているのです。

これが、「告白」

おそらく彼は、「人間って何なんだ」「よりよく生きるとは、立派なことを並べたてることなのか」「人が生きるとはもっと生々しく壮絶なものなのではないか」

いろいろ自問自答するところがあったのではないかと思います。

ピーカンの晴ればかりの人生なんてあり得ない。

とよく言いますが、そんな絵にかいたような、ご立派な人生なんてあり得ないし、人というものはそんなものじゃないと言いたかったのかも知れませんね。

そして、「告白」が始まると、言い訳したり、自分が自分が・・・という「客観性」を欠いた作品も増えるわけで、それを小林秀雄は「駄作」と言っているのです。

なぜ「客観性」が必要なのか?

それは、読者が自分の心の「鏡」として、自分の体験を映せないから。

全く個人的なことでも、そこに「客観性」があることで、「私も同じ感覚を持っている」と、読者が感じたり思ったりできるのです。

これは「演奏」もしかり。

あまりにも、私が私が、、という演奏、、つまり、ナルシスト、、のようなものに出くわすと、ウンザリしてしまう。

その「告白」は、言い訳だったり、自己中心的になり過ぎて、「鏡」にはなり得ないから。

「自己批判」の目を失うと、もはや「芸術作品」からは遠ざかり、お手軽で安っぽい「駄作」になってしまうのだと。。

では、小さい子たちの演奏はどうなのでしょう。

これはもう、「味わう」「感じる」世界だと言えるでしょう。

ここに、どこかから仕入れた「わざとらしさ」「ものまね」は禁物ですban

その子が心から感じている世界観が表れているかどうか・・・これがポイントでしょう。

そこから少しずつ、「感じる」にプラスして、「思考する」ことが、少しずつ深まってゆきます。

こうして、幼い時に始めたことが、10年(6~7年)もすれば、「客観性」を持ったものになり、1人称から3人称へと変換してゆく・・・それが理想だと思います。

ですから、「型」のようなものにはめて、「方法論」・・・つまりhow-toで、どうやったらいいですか?

・・・の姿勢を続けていても、絶対に音楽的自立は無いし、それは他のあらゆることで言えているはずです。

なので、不器用でいいから、

「自分で感じ考える」

これに尽きると思います。

教師とは道案内人でしょう。

先に生まれた人・・・ですから。

「教えることは寄り添うこと」

本当に、河合先生のおっしゃることが沁みます。

ぁ・・・

で・・・読書とピアノを弾くこと・・・

ご理解いただけたでしょうか??

「対話」であり「体験」であること。

独りよがりなナルシストにならず、自己批判の目と耳を持ち、「客観性」を忘れないこと。

「一人称」だった幼い時の感覚から「三人称」にまで、育てること。

これ学術論文でも、同じだと思います。

でも、人まねをしていると、「一人称」にすらなりません。

ここが大事なところかな??

あちゃ~

名文ならぬ「迷文」・・・迷惑のメイ、迷うのメイ・・・ですなぁ・・

では~~pig

うちの子は表情に出さないので分かりにくいと思いますが・・・

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「うちの子はモノも言わないし、表情にも出さないので分かりにくいと思いますが・・・」

よくお母さんたちに言われますが、全くそんなことはありません。

もの凄くはきはきとモノを言っていたり、大きなリアクションをする子がいたとして、それと何ら変わりないのです。

なぜなら、その「大きなリアクション」や「ハキハキとした発言」そのものの裏にある真意のようなものを聞き取ろうとして、話をしているので、発言してもしなくても、そう大きな違いはありません。

ニュースなどで、死に至るほどの重大な事件を引き起こした加害者や自ら命を絶つ子供(大人も)、周りの人は全く様子は変わらなかったと言いますが、本当にそうなんでしょうか?

せめてご両親などの身内だけでも、何か・・・に気付いてあげられたら・・・そんな風に思ってみたり・・・

もちろん私は出来ます・・・と言っているのではありません。

心の声を聴く努力をしてほしいな・・・と思うのです。

殆ど喋らない子や、心が閉ざされそうになっている子・・・思春期には多かれ少なかれそういうことはあります・・・そんな状態の子も、「何か」を語っています。

その多くは「目」の表情や輝き、微細な表情筋の動き、そして「音」です。

これはものすごく繊細なことなのですが、じっと見つめ聴き入ると、分かるようになります。

むしろハキハキものを言っている子の、心の声を聴く方が難しいかも知れません。

表面的な言葉面(ことばづら)に惑わされてしまうから。。

そして、等の本人も、自分の心の真意や真相が理解できていないこともあります。

何かウソ臭い。

これは「お利口さん」の発言にむしろ多い。

求められるであろう「ムナシイ言葉」を、つい口に出してしまう習性。。

ヒドイ言い方かもしれませんが、私自身も多少覚えがあるので、分かるんです。

大人はこう言ってほしいんだろうな・・

こういう時はこう言った方がいいんだろうな・・

求められている答えはこういうことかな・・

むろん本人には、そういう意識はないですよ。

無意識の心の動きなので・・

ここに、真実の心の声はありません。

こういう「ムナシイ言葉」より、むしろ眉間にシワをよせて首をかしげている子の方が、よほど真実を語っていると思います。

ですから、ハキハキとモノを言ったり、大きなリアクションをしている子の方が「分かりやすい」なんてことは、全くないんです。

テレビに出ている人たちの、判で押したようなリアクションと空しく並んだ空虚な上っ面の言葉を思い出してみて下さい。

この人たちは、どんな悲しみを抱えているんだろうと思わずにはいられません。

ピエロ。

仮面。

そう。。

心と裏腹な言葉を言って、人を笑わせたり、その場を盛り上げたり。。

繰り返し繰り返しこの主題は、絵画や音楽で取り上げられてきましたよね。

また、いつものクセで小難しい屁理屈になっていますかね。。

「聴く」

というのは、大変な才能なのですが、他人からは全くと言っていいほど、この才能は認知されません。

なぜならそれは、内側で行われているほとんど心の中の・・・あるいは魂の活動だからです。

聴こえている人を理解することができる人も、また、ある意味、それを理解する才能がある人でしょう。

ミヒャエル・エンデの代表作「モモ」

モモ (岩波少年文庫(127))

ここに現れる、主人公「モモ」は、聴く才能がある。

そんなことは簡単だ・・と言う人は、本当に「聴く」・・ということを真剣に考え直してみて下さい。

そんなに簡単なことではないですよ。。

モモが真っ直ぐなまなざしで、その人の言葉に、じっと耳を傾かると、ふしぎと「良い考え」が浮かんだり、思わず「真実」を吐露してしまう。

そういう女の子が主人公です。

生きている人なのか、あるいは魂の表現なのか・・・

ドイツ文学者、子安美智子氏は、「モモは人々の心の中にいます」と語っていましたが、魂の声を聴く・・・という行為なのかもしれません。

さて「モモ」は誰なんでしょうね?

じっくりじっくり読んでみてほしい本です。

非常に内容の深いもので、今、大人が読んでも、多層的に読むことができます。

経済のカラクリに警告も促していますし、「時間」そのものが「いのち」だとも言っています。

忙しさの中で、大事なものを見失っているのかも知れないと、気付かされる人も多いでしょう。

さて。

聴くと言えば、河合隼雄先生も「聴く」ことの天才だった・・と言えるでしょう。

以前に書いたことがありますが、離人症という難しい病気の美しい女性が、約5年ほどの治療の後、完治して言われるには、

「最初に先生にお会いした時に、この方なら治ると思いました(以前いくつかの治療を受けてきたものの成果が得られず、河合先生の元に来たという経緯・・)。 先生は私の顔にも服装にも全然注意を払われなかった(大変美しい方だったそうです)。 先生は私の言葉にさえ全く注意を払っておられなかった。」 ここで爆笑。

「ほほう。 私は何をしていましたか?」

と、先生が尋ねられると、

「あえて言うなら、“魂”のようなものを見ておられました」

。。

先生は、この事をいたく気に入っておられた様子で、何度か対談で語っていらっしゃいますし、

「最高の誉め言葉や! と、思いませんか?」

とおっしゃっています。

むろん、天才なので、引き合いに出すのもおこがましいというものですが、言葉面や表層的なことに捕らわれていては、まず「本質」は見えてこないし、聴こえてこないでしょう。

少なくとも、努力はすべきです。

チャラチャラと空しく並んだ、「小奇麗な音」より、「不器用な真実」の方が、よほどマシです。

動物の目を見てください。

彼らには、何の曇りもない。

人間が持っている、無駄な「属性」を持っていないから、「真実の目」をしています。

言葉。

言霊(ことだま)。

ここに宿っているのは何なのでしょうね?

言葉が多いほど、逆に分からないこと・・も増えてゆくように思います。

ですから、

はきはきとモノを言わないから、心配だ・・・ということもないし、

はきはきとモノを言うから、心配ない・・・とも言えない。

そういうことなんだと思います。

cat  fish  cat  fish  cat  fish  cat  fish  cat  fish  cat  fish  cat  fish  cat  fish  cat  

そうそう!

やっと受験も終わり、ピアノの周り、ちょっとずつ片付け中。

髪もちょっとだけ切りました。

金曜日土曜日と相次いで合格発表があり、2人の受験生、志望校に入学することになりましたshine

大学生だね~shine

社会の経済状況が良くない今の時節、国立系は倍率が高いそうで、Nちゃんが受けた大学は、志願した時点では7倍とか・・・coldsweats01sweat01

もう一人のYちゃんも、1次、2次・・と、何とか進んだものの、3次の楽典・聴音・新曲・・・そして学科が~sweat01~~と、心配しましたが、合格が決まり、ほっとしています。

まぁムリだったら、もう一年勉強し直せということだから、どっちみち、これからも頑張ろう、と話しておりました。

このA大は、今年新校舎完成だそうで、おそらく試験も新校舎のホールだったのでは?・・と推測しています。

すごく立派でキレイだったらしいですから・・・shine

2人とも発表会参加可能となり、賑やかになりそうです。

既に大学生の2人も参加してくれるので、楽しみですねshineshine

今日、23日と、来週30日の日曜日、午後2:30~4:30

うちのピアノ室で練習会します。

都合がつく方は、ご参加ください~pig

ひとつお知らせ!

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4月分の聴音・・・1週目の子たちだけ、3月29日の5週目にします!!

annoy聴音AグループとCグループannoy

ご注意ください!flair

発表会のプログラム載せておきます♪

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☆2台のピアノのための8つの小品 グルリット        稲田灯華&森下華楓 

①マーチ 幸せな魔女 バスティン 

聖者の行進() アメリカ民謡                    古志美侑

②優しい歌    リュバルスキー 

ゆかいなヴァイオリン弾き G.フリード              佐藤 璃音

③カンツォネッタ ネーフェ

 オルゴールのワルツ ギロック                   安部紬

④メヌエット  J.クリーガー 

ワルツのように Op.27-1 小さい歌  Op.27-2            大月 彩音

⑤メヌエットBWV  Anh・114 j.s.バッハ
フラメンコ  ギロック                       大泉結楓

⑥メヌエット BWV Anh.115 J.S.バッハ 

踏まれた猫の逆襲 平吉毅州                    宇田汐莉 

⑦ロンドトッカータ カバレフスキー 

古いドイツの踊り   作者不詳                   中山琴心 

⑧フラミンゴ・ワルツ  グレンダ オースティン
メヌエットBMW Anh.116   J.S.バッハ              辻 七緒 

⑨カプリッチォ j.w.ヘスラー

 星の国の物語   湯山 昭                       藤原心奈 

☆2台のピアノのための8つの小品 グルリット          安藤栞&米江遥果  

⑩エリーゼのために       ベートーヴェン             石黒葵彩
⑪おおぐま こぐま         田中カレン  
 アングレーズ          J.C.F.バッハ             米倉菜々子 

⑫インヴェンション14番     j.s.バッハ
   
マズルカ15  Op.24  Nr2    ショパン              田村心晴 
⑬ソナチネ            ギロック              村家帆南

⑭アラベスク・センチメンタル   ギロック              三内日和

⑮小さな黒人           ドビュッシー            生田真穂子

⑯ワルツ エチュード        ギロック              難波明里 

☆2台のピアノのための8つの小品 グルリット        土屋佳絵子&難波千晶 

春               W.F.バッハ

ベニスのゴンドラの歌       メンデルスゾーン           渡邊友華
⑱花の歌              ランゲ              足立  梨菜 
⑲シンフォニア15番       J.S.バッハ
 田園詩           アンリ・デュティユ           安藤 栞 

⑳ワルツ15番(遺作)        ショパン             鎌澤香花

㉑ワルツ9番 Op.69-1        ショパン             篠原結女

㉒ゴリウォーグのケーク・ウォーク  ドビュッシー           稲田灯華 

㉓フランス   組曲 3番 サラバンド  J.S.バッハ 
無言歌集より  春の歌 Op.62,No.6  メンデルスゾーン         北村藍子 

㉔アラベスク第一番         ドビュッシー            森下華楓 

㉕軍隊ポロネーズ            ショパン             米江遥果 

㉖幻想即興曲             ショパン            土屋佳絵子 

㉗忘れられたワルツ 1       リスト              難波千晶 

★ディズニーで連弾

♪小さな世界(あやね)~♪ララルー(ことこ)~♪ビビディ・バビディ・ブー(ななお)

♪チムチムチェリー(つむぎ)~♪ハイ・ホー(りのん)~♪星に願いを(しおり)

♪ホール・ニュー・ワールド(ゆいか)~♪美女と野獣(ここな)

㉘田園曲  牧歌           リスト             中島   啓子㉙即興曲Op.903          シューベルト           井上麗 

㉚ミクロコスモス ブルガリアン・リズムによる6つの舞曲より149153
バルトーク           安達美乃理 

㉛エチュード「革命」Op.10-12     ショパン            青戸 友紀子

㉜ノクターン Op.9-1Op.15-1    ショパン            森 菜々子 

㉝ロンドOp.1             ショパン            高市彩世

3つのノヴェレッテ ハ長調、変ロ短調、ホ短調 

プーランク           平尾栞奈

㉟ロンド・カプリチオーソ      メンデルスゾーン         馬場莉音 

☆シテール島への船出         プーランク       森菜々子&西野真琴

㊱居眠りわにさん・いざ学校へ     バスティン           名和慎一朗

 時計台のうた()          しもまきやすこ          &お母様

㊲教会の鐘              ギロック            中野 貴夫

㊳田舎の夕暮れ            バルトーク           上田 悠仁

㊴インヴェンション 13番      J.S.バッハ  

ソナチネ Nr.6           モーツァルト           青戸 彬真 

㊵ノクターンOp.9-2          ショパン             加藤 巧 

㊶ノクターン Op.544         グリーグ            永瀬寛悟 

㊷ソナチネ               ラヴェル            高市悠世 

㊸飾らずに                ジャン・クレルグ
無言歌集  甘い思い出Op.19,No.1   メンデルスゾーン          加藤 悠 

㊹愛の夢 第3番             リスト            米田壮一朗

☆スラヴ舞曲Op.46-8         ドヴォルザーク     馬場莉音&平尾栞奈

                               高市彩世&西野真琴

㊺2つの演奏会用練習曲より 森のざわめき リスト            三島加蓮 

㊻バラード第3番            ショパン           面谷ほのか 

㊼アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズOp.22

                    ショパン           清水沙彩

㊽ソナタ4Op.7 第1楽章       ベートーヴェン

 エチュードOp.25-1「エオリアン・ハープ」

 プレリュードとフーガOp.35-5          メンデルスゾーン       國野菜月

㊾エチュードOp.10-8Op.25-3            ショパン

 ソナタ7Op.10-3 14楽章         ベートーヴェン       安達優衣

ソナタ第1 Op.1 1楽章            ブラームス                  生田桃子

51ソナタ第15番「田園」Op.28 134楽章
                                         
ベートーヴェン 

ソナタ第4 Op.30                    スクリャービン              高木 

古志美侑 佐藤 璃音 名和慎一朗(年中)

安部紬 大月 彩音  大泉結楓 宇田汐莉 中山琴心   七緒 藤原心奈 澤村 悠我(年長)

石黒葵彩(1)

米倉菜々子 田村心晴 村家帆南(2)

難波明里 中野 貴夫 上田 悠仁(3)

生田真穂子 篠原結女 青戸 彬真  加藤 巧 永瀬寛悟(4)

渡邊友華 鎌澤香花 稲田灯華 三内日和 北村藍子 森下華楓 高市悠世(5) 

足立  梨菜 安藤 栞  米江遥果 土屋佳絵子(6) 

難波千晶 青戸 友紀子 高市彩世 平尾栞奈 馬場莉音 三島加蓮 面谷ほのか 加藤 

(1) 

森 菜々子 米田壮一朗(2)

中島   啓子安達美乃理  清水沙彩(1)

井上麗(2)

國野菜月安達優衣(3)

生田桃子  高木 (大学生)

発表会行きたかったけど都合がつかなくて・・・という方のために、プログラムだけでも載せておきますね。

晴れて大学生になれることになった、二人のうちの國野菜月ちゃんは、翌日朝から大学に行かねばならず・・・

残念ながら欠席となりましたが、印刷所に送る前のデータそのまま載せておきます!

記念に~shine

今年は前日が借りられず、当日朝から大急ぎで調律していただき、12時まで。

その後、12時から100分程のリハをやって、2時本番突入。

案の定・・・終了は7時半pigsweat01

最近、計算の精度が上がって、皆さんの演奏時間に、出はいりの時間を適当に足してみると、ホボこれがピッタリなのでございますpigflair

すごいな~わたし~な~んちゃって~

今年は妹に忙しいからと断られ、写真屋さんにお願いしました。

この写真屋さんの息子さんのチカラ君が5歳の時、音楽教室で、〝♪うちの~パパとママとは~とても~あまい~ふうふ~♪〟

と歌っていたら、「ぼくのお父さんは、いつもいい嫁をもらったいい嫁をもらった・・って言うよ」

と言っていたのを思い出します。

あれから30数年~(キミマロ風??)

彼もアラフォー男子になっていますね~

打ち上げは、今年はクスクスで!!

盛大でしたよ!

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この日はこれしか写せませんでした。

そのうち立派な写真がきますんで~

では、この辺で~~pig


安近短の旅~

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頑張ったご褒美に安近短の旅をしてまいりました~(自分で言うかい!happy02

関西方面

今回はまず久々の“神戸”bullettrain

4月16日まで開催している

“ターナー展”

滑り込みセーフ~shine

ついでに京都まで足を延ばし、小さな印象派展をやっていたので、ちらりと観てきました!flair

ターナーは、ほぼベートヴェンの時代のイギリスの画家。

最近とみに思うんですが、日本人の感覚は、メロディーの下に和声がある感じ・・・

ヨーロッパ文化は、和声・リズム・構成・・・これらの上にメロディーが浮かび上がってきている感じを強く感じます。

もちろん画を観ていて、それから楽譜を見ていて・・・

それについては考察中です。。

京都でチラ見してきた“印象派展”の目玉は、何と言ってもルノアールの大作。

“都会の踊り” “田舎の踊り”のうちの一つ。

ルノアールの中でもとりわけ好きなもののひとつで、むかーし買ってきた絵葉書、見てみたら、オルセーってプリントされてたから、パリで買ってきたんだと思います。

よくよく見ると、3種類のそういった作品があって、その中の一つでした。

これ一点が観たくて行った様なものです。

ユトリロの母、シュザンヌ・バラドンが若き頃、モデルをしていました。

ここから、画家になったシュザンヌも凄い!

母としては全くダメ。

息子は精神を患い酒に溺れ、病院へ入ります。

そして、その息子に絵筆を持たせたのもシュザンヌ。

自分と息子・・・二人の画家を生んだ・・・ともいえるな。

人生には妙味がありますね。

それこそが芸術。

シュザンヌ・バラドンに関しては、過去のblogに少々下手な文章を載せていますので、ご興味ある方はどうぞ。。

http://nishino-pianoschool.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/01/post_e416.html

Dscn0576Dscn0578

その他は、美味しいお料理と何と言っても「さくら」shine

とにかく素晴らしかった!

特に姫路城は

「圧巻」

の一言でした!!

今日は講釈はなく、ただひたすら画像を載せておきます!

ぁ・・・

頑張った・・って言うのはですね・・1月と3月、2匹の猫を看取りまして、入退院だったり覚悟しててもいろいろ大変なんですよ。。

そうした中でも確定申告やら発表会の準備やら、新年度のレッスンの準備やら・・・

それと2人の受験生。。今年はなかなか手ごわかったcoldsweats01~~ガンガンレッスンしました。

あれだけ言われてよう辞めんかったなぁ・・と思うぐらい、シゴキました。。特に精神面かな。。

お互い頑張りました。。最終段階で、私の中では多少の勝算はあったのです(笑)

ここまでやれば通用するレベルだな・・と・・

Yちゃんは、受験直前「自己と戦ってまいります!」と言っていましたが、本当にそれ!!

良く意識改革してくれたなぁcrying!!

高1まで続けていたMちゃんも鳥大医学部医学科バッチリ合格と教えていただきました。

ここには、どの学年にも最低1人は卒業生がいることになります。

なんか、オモロイ現象ですsmile

さてさて画像camerashine

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修復工事も大詰めに入った白鷺城こと姫路城

この風景も二度と見ることはないと思うと、感慨もひとしおでした。

解説付けたいけど、、、

まぁご堪能あれ~

写真はこの何倍も撮ってはおりますが、ホドホドに・・・

神戸、京都、赤穂、姫路、、京都は丸山公園です。

丸山公園横の長楽館の苺のジュース(なんかもうちょっとおしゃれな呼び方だったかも~)美味しかった~

神戸は異人館通りのグラシアニ邸のフレンチレストラン

出てきたバターがどっかで見た・・・ぁ・・・リッツカールトンのフレンチ・・・と思ったら、シェフはそこ出身だそうです。

異人館レストラングラシアニ外観
赤穂で有名な“さくらぐみ”
海を臨む絶景で、ガッツリ形のイタリアン。。なかなかでございました!!
そして、何といっても、最後にみた
姫路城の“桜”shine
感動しました!!
さて、今日午後から始動開始です!!
張り切っていこうrockshine

ピアノを習うということは・・・案内人として・・・

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過去のblogで山登りに例えて書いたことがあるのですが、ピアノ教師に限らず、指導者というのは案内人なのだと思います。

寄り添って、道案内をする。

おそらく、ピアノの指導に限らず、おおかたのものは同じようなことが言えるのではないでしょうか?

野球、テニス、書道、空手、弓道・・・挙げていたらキリがないですが・・・

春・・・

まっさらな子供たちがたくさんやってきます。

これから、一緒にいろんなものを見つけに行く旅が始まる。

とも、言えるんです。

小さな子たちの、リトミックや幼児グループレッスンで、音楽体験、リズムや音感をつけることをはじめとするソルフェージュ指導にあたって、皆さんによく説明するたとえ話。

畑の種まきをする前に、畑の「土」をよく耕しましょう。

と。。

「土づくり」が出来てない、やせた土地に、いくら種をまいても育ちませんよね。

よく耕し、程よい栄養や光、水を与えなければ、種が芽をだし、育ち、花が咲き、実が生って収穫し、また次の世代を作る。。ということは難しくなりますし、逆に言えばそういうことをちゃんとすることで、美しい花を次々咲かせたり、美味しい実を収穫することができるのです。

さて、山登りに例えた場合。

それはより具体的に、自分の力で歩いて、きれいな花や景色を探しに行く旅でもあります。

初めは自分が立っている、ふもとの平らなところで、身の回りの景色や咲いている花を探したり、摘んでみたり。

教師は水先案内人として寄り添い、この花は本当にきれいだね。 

よく見ると花びらはこうだよ。 

すぐ横にこんな花も咲いているけど、違う色もきれいだね。 

などと話しかけ、一緒に感動したり喜んだり。 

そんな役割でしょうか?

もうちょっと勇気を出して、あそこにある湖まで行って、いろんなステキなものを探してみよう。

と、少し先の方も示してみるかも知れません。

そうやって、少しずつ高い山をめざし、そこにしか咲いていない花や、そこでしか見えない景色を手に取ってみたり、感じてもらう案内をします。

ただし。。

その為には、それなりの体力が必要です。

日々のトレーニングも積んでいなければ、遠出をしたり、山に登ったり、時には急な坂や崖、岩場を上り切るのは困難でしょう。

その為には体力だけでなく知力も必要でしょうし、経験を積んでいかなければ乗り越えられないことに直面するかもしれません。

そして感動するしなやかな心の状態がなければ、せっかく体力をつけて登ったのに、美しい景色や素晴らしい花を目にしたとしても、何の感動や喜びもなく終わってしまうことになります。

体力や知力ばかりでなく、感動するしなやかな感受性がなければ、本当の意味で曲を弾きこなしたことにはなりません。

そうやって、難易度の高い曲を弾けるようになれば、自力で小高い山に登ってみたり、もっと上を目指すことにもなるでしょう。

でも、いつもいつもエベレストやマッターホルンを目指すことはないのです。

勉強が忙しくなってきたりしたとき、少し頭を休めて、近くのきれいな景色を眺めたり、池に浮かぶ睡蓮や水面の光の移ろいを楽しんだり、小さな山に登ったり。。

そんな楽しみが出来るのも、高い山に登った経験のある人にこそ、深く味わえるものもあるでしょう。

私としては、そういうことが楽しめる人たちを育てたいなぁ・・と常々(つねづね)思っているのです。

人の心は、表層的な日々の事の下に、奥深い世界を持っていて、無意識のうちにそことつながっています。

例えば、夢を見ること。。

不思議ですよね。

何であんな夢を見たんだろうと、現実生活ではあり得ないような経験を、心の中ではしています。

眠っている間に、現実から解き放たれ、深い世界とつながっているところが浮上してきます。

私は専門家ではないのですが、おそらく日常生活の中にだって、そういう「隙間」や「ぽっかりとした穴」があって、心に栄養をもたらしてくれたり、時には自分でも不可解なことをしてみたり、たまーには不思議体験をすることもあるかもしれません。

ここでは詳しく論じませんが、体に良い「栄養」を与えてあげるように「心の栄養」も必要です。

絵本などもいいですよね。

そして自然の中に身を置くことは、本当に素晴らしいことなのだと思います。

それが音楽で言えば、先ほど言った、ちょっと近くの小高い山や、川や、そういったもので例えられる、「小品」

そういったもので、心の中の世界を広げ、自由に羽ばたき、遊び・・・また良い日常の生活者となる。

よく、勉強が忙しいから、と言われますが、本当はこういう楽しみ方が出来る人は、逆によく勉強ができる人でもあるのです。

ち、またピアノ?!

と言われる塾の先生があるようですが、この事が邪魔になって勉強が出来なかった人を過去にみたことはありません。

良く書きますが、東大京大のピアノ率は高いのです。

もちろん、東大京大の人たちだけが賢いなんて、全く思っていませんが、体の栄養ばかりでなく心の栄養を充分に取っている・・・と言えるのではないかと思います。

山登りは、自分の力で登らなければ意味がありません。

ヘリコプターでちょちょっと登って景色を見てきても、ダメんです。

少なくとも、またあの山の景色を観よう、花を摘んで来ようと思ったら、その都度チャーターしなければいけないし、本当の意味で景色を味わったり、花を愛でることにはならない。

しっかりと体と心を育て、いつでも心の中の素晴らしい景色と出会ったり、花を愛でたり・・・そうして豊かな人になることで、現実生活の中で、いろんな工夫をして力強く生きてゆける人になるのでは・・・と、思っているのです。

如何でしょうか?

今日のたとえ話。

分かっていただければ幸いです~pig

心の物差し

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今日のお題は、おもうこと+私のこと・・・になりそうです。

白状しますと、わたくし・・・今月で55歳になりますcatface

嬉しいやら悲しいやら・・・歳をとる覚悟がだんだんできてくるって言うのかなぁ。。

見た目、ちとばかり若そうに見えるかも知れませんが、正真正銘の「オバサン」でございます。

しかし、もう少し年長者から見れば、私なぞ「まだまだヒヨッコ」なのでしょうねchick

一回り年下の40代前半の人たちが子供の頃から、仕事として彼ら彼女らの成長を見てきているので、人生の節目節目の色々な事がらを思い、感慨深く思うところあり・・・と言いましょうか・・・wave

外から見えるところ、見えないところで、色々な変化や出来事が起こり、喜んだり悲しんだりしながら、それを乗り越えていく・・・人生だなぁ・・・って。

何かキラキラしたことが起こっても、一瞬のこと。

いっときの現象に過ぎません。

また逆に、非常な苦難・・これも、いつまでも続くわけではありません。

もちろん何がしらかの努力を続けなければ、事態は何も進展しない場合もありますし、ゆっくり嵐が過ぎるのを待つしかない時もあるでしょうね。

皆さんの中でも、きっと日々同じようなことが繰り返されているようで、少しずつ変化していたり、まさかの事態が起きたり、色々なことを経験していらっしゃるのではないでしょうか?

食べ物の味が、甘いだけでは物足らないように、苦かったり、辛かったり、酸っぱかったり、、やさしい味や、衝撃の味や、、人生も味わっていると思えば、少し楽しめる余裕が出来ると言えましょうか?

とても分かりやすい例えで、日々の勉強や仕事や多くの経験は、家を建てる時の足場だとすると、その中に立っている建物は、「心」または「精神」あるいは「魂」、、そういったものだそうです。

なかなか含蓄のある例えshine

一瞬立ち止まると、あれっ・・・足場ばかり気にしていて、中身の方はどうなっているんだ・・・と。。

ふと、思い出しましたが、数学者の弘中平助さん。

数学のノーベル賞と言われる、フィールズ賞をとった数少ない日本人のお一人。

(参照・・今までに、1954年小平邦彦、1970年弘中平助、1990年森重文の3人の受賞がある)

小澤征爾さんとの対談が、非常に面白く、印象に残っています。

読んだのは、おそらく20代後半かな?

1970年に弘中平助さんがフィールズ賞を受賞されて後、私が高校生くらいの時に、この対談が行われたようです。

内容はこの本からだったのか記憶していませんが、弘中さんは非常に裕福な家の生まれでしたが、よくあること、と言えばよくある話・・・お父さんの事業が失敗し、一家は貧しい暮らしへ・・・

大学なんて言うのは、勉強しなくてもいけるくらいの頭脳のやつが行くところだと言われ、押し入れの中でこそこそ勉強していたとか・・・

感動するのは、大きな会社を経営していた父親でしたが、事業に失敗して会社を手放しその後、行商をはじめ、列車事故で亡くなるまで、誇り高くその仕事を全うしたということ。

フィールズ賞受賞の時は、この父親の形見の「紋付き袴」を着て行ったと、弘中さんがおっしゃっていたことが心に残っています。

外面は激変していますが、父親のこうした誇り高い姿をみて、息子の弘中平助さんは尊敬していたのではないでしょうか?

こういう姿は、全然みじめではないんです。

誇り高い魂の姿ですよね。

誇り高いと言えば、先日、日本料理の素晴らしい料理人の方をテレビで拝見しましたが、亡き兄が残した言葉を大切にしていると。。

「誇り高く平らに生きる」

素晴らしい言葉だなぁ・・と胸に刻みました。

心の物差しflag

人それぞれの物差しがあると言います。

ここのところ思うのですが、私の中では、

「魂(心・精神)の純粋さと高さ」

これに限るなぁ・・・って。。

これって、キレイごとじゃないです。

そ~んな理想論掲げても~~と言われそうですが、この歳になると、ちょっとした覚悟のようなものが出来ていて、多少の事では動じない心もあるので、言いきれるんです。

ただし・・・

年長者から見れば、まだまだヒヨッコ・・・これも自覚はしています。

これは、もちろん音楽にも通じること。

よりよく生き、よりよく死ぬ。

御立派な人生論を語りたいわけではありません。

最後に残るのは何か・・・そういうことなのかもしれませんね。

やわらかな心をもつ―ぼくたちふたりの運・鈍・根   新潮文庫

生きること学ぶこと (集英社文庫)

学問の発見

可変思考 (光文社文庫)

学問の発見―創造こそ最高の数学人生 (学問シリーズ)

フラクタル幾何学

面白そうなので、いくつか著書をあげておきました。

私が読んでいたのは、ぜーんぜん専門家向きでない、初めの2冊。

しかも20代後半だから、どえらい昔ですが・・・coldsweats01

ご興味あればどうぞ~

ではではこの辺で~pig

4月の予定

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4月の予定です・・・今さら・・・すみませんsweat02




noteちびっこリトミック(月曜日)

4月14、21、28日☆2:30~3:20 

note幼児グループ (火曜日)

 月1回クラス(ピアノ)  4月1日      ☆2:30~3:30

 月3回クラス(通常)   3月8、15、22日 ☆2:30~3:30

note聴音

  Aグループ・・・・・4月19日    ☆9:45~10:30

  Bグループ・・・・・4月12、29日 ☆9:45~10:30

  Cグループ・・・・・4月19日    ☆4:45~5:45

  Dグループ・・・・・4月12、29日 ☆4:45~5:45

聴音A、Cグループ4月1回目として3月29日にレッスン終わっていますのでご注意ください。

5月は連休がありますので、5月10、24日 A、Cグループ

                 5月17、31日 B、Dグループ

を予定しています。

今月もよろしくお願いいたしますnote



お久しぶりなblogです~♪

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お久しぶりですcoldsweats01

先日、すごーく頑張ってながーいブログを書いていたんです。

3日分ぐらいに分けて投稿しようかと思ったぐらいだったのですが、ちょっと保存しておこうと思った時に失敗してあえなく消滅・・・

ぜーんぶ消えてしまいました~crying

とほほ~~sweat02

ピアノを始めるにあたって、①心→②頭→③体→④手指の順で育てよう。。

しかも、①を育てたら、②と①、次は③と①②、④をしながら①②③はさらに進化してゆく。

そんなことを、くわーしく書いていたのですが、頓挫してしまいましたsweat02sweat02

また元気が出たら書かせていただきます。

さて、昨日(日付が変わらないうちにアップできれば)19日土曜日、急きょ思い立ち京都へ行って参りました。

長年その著作を楽しみに読ませていただいている、ピアノストで文筆家の青柳いづみこ先生の講演があったからです。

「フレンチピアニズムの系譜」と題され、コルトー、チッコリーニ、サンソン・フランソワ等、多くのフランスのピアニストの奏法など、映像と共に、非常に興味深くお話を伺いました。

ドビュッシーの楽譜やピアノの練習ABCで、本の校訂者としてみなさんもその名を見たことがある、安川加寿子先生。

青柳いづみこ先生の恩師でもある安川先生もフレンチピアノの系譜の中のお一人。

大変凄い方で、お父様が外交官だった(と思います・・)ので、生後14ヶ月でフランスに渡り、ルーブル美術館は隅々まで知っていた・・・と仰るぐらいの環境で育ち(おそらく外交官の家庭だったので客人をご案内されたりしたのかも知れませんね)、戦前帰国された時は日本語よりフランス語の方が堪能で、日本語がお得意じゃなかった。

フレンチピアノズムを日本で多くの方に広め紹介され、多くのピアニストを育てた方・・・それが安川加寿子先生なのですが、その歴史の流れを知る人も、少なくなってきたのかも知れません。

私が子供の頃やっていた「オーケストラがやってきた」という、山本直純さん司会の名物番組に、若き日の小澤征爾さんと安川加寿子先生の競演があり、懐かしく拝聴しました。

私も一度演奏会に行ったことがありますが、大変美しい音色でした。

ちらりと演奏前の様子を見た時、とてもピリピリしていらっしゃる様子で、少し近寄り難そうなイメージを持ってしまいましたが・・・

調律の神様と言われる村上輝久氏が、米子でも安川先生の演奏会に同行したことがあり、当時まだ賑やかだった皆生温泉に宿をとったことなど、懐かしくお話していらしたことも久しい話となりつつあります。

さて、いづみこ先生がここの所Facebookにも投稿されるようになり、本を手に取らずともその文章を読むことが出来るようになりました。

ただ・・・このblogを読んでくださる方で、Facebookは登録していらっしゃらない方も多いと思います。

いづみこ先生の文章は是非ご紹介したいので、シェアさせていただきます。

少し前のものです。感動という事・・・そしてよい耳とは・・・?

他にも良い文章を多く投稿されています。

良ければその著書をお手に取ってみて下さい。

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感動ということ。

ちかごろ、偽ベートーヴェンの件が世間を騒がせている。大物指揮者や作曲家、演奏家、評論家や学者まで巻き込んだ事件。メディアでの注目はもっぱら物理的な聴覚のあるなしに集中しているが、実際は別の意味の「耳」の根幹に関わる事件だった。

我々の演奏世界で言うところの「耳がいい」には3通りの意味がある。ひとつは、いわゆる音の高さや長さを正確に聞き取る耳。いわゆるソルフェージュ能力である。もうひとつは、自分の出している音をよく聴き、よい音か悪い音かを判断できる耳。つまり、自分の演奏を客観的に判断する能力。そして、最後は他人の演奏を聴いたときに、その善し悪しが的確にわかる耳。つまり、審美眼である。
もっとも、何が良い演奏で何が良くないのか、聴く人それぞれで明確な判断基準はないからむずかしい。友達がほめている演奏家の名前をきいて、えっ、こんな人をよいと思うのかと友情まで壊れかねない事態...も起きるし、師事している先生の価値観が合わないため、指導そのものに疑問をもつこともある。
ステージで演奏したとき、聴いてくださった方の意見をきくのはとても大切だ。何といっても、演奏はパフォーミング・アーツなのだから、聴衆に愛されなければ話にならない。しかし、聴き手の感想の受け止め方はひと筋縄ではいかない。否定されたとき、それは自分が演奏を失敗したから愛されなかったのか、そもそも価値観が違うので、どんなに自分の思いどおりに弾いても愛されなかったかもしれないのか、みきわめなければならない。前者なら反省して勉強しなおす必要があるが、後者ならその必要はない。
では、肯定されたから無条件に良いかというとそういうものでもない。楽屋やサイン会にいらして「感動しました!」と言ってくださる方がいる。本当にうまく弾けたときならよいが、そうでもなかったときは困ってしまう。それでも日本人ピアニストは丁寧にお礼を言うが、海外のピアニストの中には、あんなものを良いというのか、あんな演奏に感動するとは何事だ! と怒りだしてしまう人もいるときく。
さらにむずかしいことには、弾いた当の本人に本当に演奏の善し悪しが判断できるかというと、必ずしもそうではないケースもあるのだ。たとえば、ミスタッチ。弾いたほうは必要以上に気にして、ミスがあったから良くない演奏だったと自分を責める。しかし、聴き手は楽譜のすみずみまで知っているわけではないから、些細なミスよりは、その演奏を通して流れてきたものに印象づけられることが多い。
さらに、演奏を聴く前に、その演奏家の来し方来歴、ドラマティックな過去やハンディキャップなどを知らされていると、その印象がさらに強められるかもしれない。
演奏家のプロモーションをする側が、演奏以外の要素を強調して「感動」を演出することも可能になるだろう。
その場合、聴き手は本当に感動しているのか、ただ「感動」の演出に乗せられているだけなのか・・・議論の分かれるところだ。

なぜこんなことを書くかというと、前回の投稿で、くも膜下出血を克服してピアノを再開した方が、JMLセミナーのコンサートで弾いた『月の光』に「感動的」という言葉を使ったからだ。
その演奏は本当に感動的だった。私は司会をつとめていたので泣くわけにいかず、涙をこらえるために、首からかけていたショールの房をあちこち揺らした。
その方が右半身不随を免れたストーリーが感動的なのではない。ストーリーが感動的だから演奏も「感動的」に聞こえたのでもない。そうではなくて、集中治療室で音楽を糧に回復したことによって、多くのピアニストが乗り越えるのに苦労する壁、つまり、自分の思いを楽器に託す境地にやすやすとはいれるようになったからこそ、その演奏が聴き手の心を動かすのである。
病気をする前は、他のピアニストと同じだった、とその方は言う。いろいろなものに縛られていた、ミスなく弾こうとか、大きな音を出そうとか。音楽とは、自分の外にあるものだった。今は違う、音楽が中に入ってきて、思いがそのまま音になる感じがする。
その「感動」はつくられた「感動」ではなく、頭で理解した「感動」でも思い込みの「感動」でもなく、人間の心がやわらかくなれば、必ず感じとって反応できる類の、魂レベルの「感動」である。
そんなすばらしいことが起きている瞬間に、それと感じとって素直に感動できるのが、ホンモノの「よい耳」だと思う。

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著作・・・私が持っているものを画像にてご紹介しておきます。

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ミーハーでサインまでいただきました!

更にミーハーなことにファンレターまでお渡ししてしまいました~happy02

ではまた~pig

5月、6月の予定

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連休モードに入りましたね。

今回は早めに、5月と6月の予定をアップしておきます。

皆さまのご予定と合わせながら、ご覧ください。



noteちびっこリトミック(月曜日)

5月12、19、26日☆2:30~3:20

6月 9、16、23日☆2:30~3:20 

note幼児グループ (火曜日)

 月1回クラス(ピアノ)  5月13日 ☆2:30~3:30

                6月 2日 ☆2:30~3:30flag注・・6月のみ月曜日となります。

 月3回クラス(通常)   5月20、27日、6月3日☆2:30~3:30

               flag注・・3回目のレッスンは6月に行います

                6月10、17、24日   ☆2:30~3:30

note聴音

  Aグループ・・・・・5月10、24日 ☆9:45~10:30

            6月14日 ☆10:30~11:15flag注・・7日午前お休みの為変更

            6月21日 ☆9:45~10:30

  Bグループ・・・・・5月17、31日 ☆9:45~10:30

            6月14,28日 ☆9:45~10:30

  Cグループ・・・・・5月10、24日 ☆4:45~5:45

            6月 7、21日 ☆4:45~5:45

  Dグループ・・・・・5月17、31日 ☆4:45~5:45

            6月14,28日 ☆4:45~5:45

  

よろしくお願いいたしますnote




自然からの贈り物・・・そして恩恵

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なんですかね~

今日のタイトル。。

別に大仰なことを書きたいわけではないから、ご安心を~chick

先日、無事誕生日を迎え、どうやら55歳になったようで・・(笑)・・その日に家のお庭に咲いていた、というお花などを頂きました。

こういう自然の造形物の素晴らしさっていうのは、人が作ったものではどうにもかなわない素晴らしさがあるなぁ・・・な~んて思ってみたり・・・

形ばかりでなく、色ばかりでもなく、香りばかりでなくそこから発せられるエネルギー。。強いものもあれば柔らかなものもあれば、、色々です。

マイナスイオンがどうのかとか、植物の光合成や呼吸がどうのかとか言いたいのではありません。

こういう知識を入れてしまうことによって、分かった気になって、感覚を研ぎ澄ますことが出来なくなってしまう・・・そう言うこともあるのではないでしょうか?

先日、あるお母様とお話していて、子供の時には近くの川や山でたくさん遊んだことを伺いました。

今、釣りに夢中になっている男の子がいますが、他県出身者の、このお母様も、近くの山や川でそんな遊びをしたことが本当に良かったと。。

おそらく、山の中を分け入って、蛇などに出会って怖い思いをしたり、急な坂や岩場を夢中で登ったり、風の音や木々の匂いなど、体中で自然を感じる体験をなさったのではと思います。

時には危険も伴うこういう遊び。

今ではなかなか経験することが叶わないのですが、人の五感を研ぎ澄まし、机上では味わえない素晴らしい経験をすることができるのではないかと常々思っています。

「ファーブル昆虫記」で、おなじみのジャン=アンリ・カジミール・ファーブル

最近の子供たちの話題に上ることも少なくなってきましたが、深く昆虫を観察することで、彼は宇宙の節理まで感じていたようです。

人々が教会で聞く話を、昆虫たちから聞いていた。。と。。

はたまた、量子宇宙論で有名な、スティーブン・ホーキング博士。

90年代初めごろ来日した時は大変な騒ぎでした。

学生時代、筋萎縮性側索硬化症を発症されたのですが、どういう訳かその過程で病気がストップし、生存率5年未満の病を抱えながら、現在70歳を過ぎてなお、イギリスケンブリッジで研究を重ねていらっしゃいます。

しかし、声を出すことはもう出来ず、もちろん歩くことも出来ないので、特別な車椅子と、身体の一部の微細な動きで言葉を紡ぎだし、コンピューターの音声でお話するという、非常に独特の、言ってみれば未来的なスタイルをとっておられます。

現代の理論的宇宙論を、出来るだけ平易に執筆された著書も数多くあるようで、私もどういう訳か来日された際、話題の「ホーキング 宇宙を語る」を買い求め、書棚の奥に密かに所有していますcoldsweats01

当時、ホーキング博士は、宇宙を考えることで、神を考えている・・・のような発言をしていました。

現在、神も天国も存在しない・・・と言いきって、宗教界との隔絶があるとかないとか。

まぁそれはいいのですが、こういう事を研究して、なぜ宇宙は存在し、人が生きるのか・・・と、問い続けているのかも知れません。

・・・で、なぜに宇宙??

と思われるかもしれませんが、1年があり、12ヶ月に分けられている。

太陽暦ですよね。

フツウに、この時期は、この野菜が旬よね。。とか、この季節になると薔薇が美しい。。とか、毎月何日ぐらいに生理になるのよ。。とか、、私たちも、太陽をはじめとする宇宙に組み込まれているんだな。。と、思わずにはいられないんですよね。

お腹の中に子供を宿せば、ほぼ10ヵ月。。その間、胎児は羊水の中で生命の進化を遂げる。

この当たり前な宇宙の節理から、次第に意識が遠ざかってゆく。

都市生活をおくる中で自然から隔絶され、人の浅知恵で管理されすぎた生活をおくるうちに、次第に生命としての自然な呼吸をすることができにくくなり、ちょっとずつ元気が出なくなったり、精神を病みひきこもったり、あり得ないような事件が多発したり。

ちょっと考えて、私たちも生命種のひとつであり、自然への畏敬の念を忘れず、共に暮らすことを考えないと、もう転換期じゃないのかなぁ。。と思うのです。

書き方が難しくなっちゃったでしょうか?

つまり、がちがちに管理された中で、これがいい方法だと、どれだけ人が考えても、自然にかなわないことだってある。

自然と戯れ、無駄な時間も過ごし、時には子供たちを自由に、時には一人ぼっちの孤独も味わわせることも、何かを汲みとるためには必要なのではないかと思うのです。

あれれ・・・私たち孫悟空みたいじゃないですかね・・・

どんなに息巻いて、遠くへ飛んでいったつもりでも、しょせん御釈迦様の手の内だった。。

無論、あくなき探求は、人の欲するところ。

これをやめたら、人として生きてゆけないかもしれません。

でも、宇宙の声や星々のうた、木々や鳥の声に耳を傾け、自然の恵みを享受する。

そこに耳を傾けると、音楽は自然に聴こえてきます。

音楽も自然からの贈り物、宇宙からの贈り物なので。。

でも、このハテナ(・・? な発言について話し始めると、またどえらく長い文章になっちゃうので、今日はこの辺で!

やっぱりちょっとヤヤコシかったでしょうかね~sweat01

「ファーブル昆虫記」オススメです。

子供たちばかりでなく、大人も。。

特に、ファーブルの生涯について書かれた本はいいです!!

 商品の詳細商品の詳細装丁は安野光雅さん

商品の詳細商品の詳細この本の絵は熊田千佳慕さん

商品の詳細商品の詳細商品の詳細

ついでにホーキング・・・これは読破していません!sweat01

一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールの特異点定理を発表し世界的に名を知られた。1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング輻射)を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった。現代宇宙論に多大な影響を与えている人物。

また、一般人向けに現代の理論的宇宙論をできるだけ平易に解説しようと試みた著作群も著して各国語に翻訳されており、これでも人々によく知られている。(日本語版は『ホーキング、宇宙を語る』など)

大英帝国勲章(CBE)受勲。

車椅子の物理学者」としても知られる。60年代、学生のころに筋萎縮性側索硬化症を発症したとされている。通常、発症から5年程度で死に至る病気の患者でありながら途中で進行が急に弱まり、発症から50年以上たっても健在でいる。現在は意思伝達のために重度障害者用意思伝達装置を使っており、スピーチや会話ではコンピュータプログラムによる合成音声を利用している。


俵屋宗達・・・“風神雷神図”

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ファイル:Fujinraijin-tawaraya.jpg

日曜日・・・3月までは、受験生のレッスンで結構根詰めてレッスン(・・って、私のことだから大したことはありませんが・・)していて、ピアノレッスンばかりじゃなく、楽典、聴音、新曲視唱、ソルフェージュ一般等にプラスして、ピアノレッスンも入っていたので、月曜日のリトミックを朝からこなすと、火曜日はぐったり・・・でしたが、、4月からは何ともスッキリheart02

今は、たまーに日曜日のレッスン後、スーパーにふらふらと買出しに行ったり、なかなかゆるりとしております。

今日は午前のレッスンをした後、午後から高校生のMちゃんを誘って、コンサートに行ってきました。

プッチーニとロッシーニの珍しい宗教音楽。

プッチーニの若かりし頃の作品は、テノールとバリトン、そして合唱とオケ。

ロッシーニは、ソプラノ、アルト、テノール、バリトン。

珍しい曲で、なかなかの好演でした!

その後、「おなか減ったね~」・・・と言って、Mちゃんと全日空ホテルでアフタヌーンティーを楽しみましたcafenote

さてその後、ピアノを弾いたりしてから、お楽しみの“日曜美術館”heart02

今日は午前中、奥村土牛をやっていまして、ちょちょっと見てレッスンへ・・・

夜は、俵屋宗達・・・おお~今日は日本画日和~?

なーんて思いながら観ていたのですが、これが面白かった。

最近ずーっと気になっていたことを、なんと中沢新一さんが考えていらっしゃった。

どうもこの本に書いていらっしゃることが、私が最近絵を観て、日本人の思考の方向性を考えて、ずーっとずーっと気になっていたことと同じかも~flair

そりゃあ、スゴイ思想家の方なので、私のは思考の入り口でふらふらしているに過ぎませんが・・・

矢も楯もたまらず、今井書店へ走ったのですが、もちろん目的の本があるわけではなく・・・ちょっとは期待したが・・・そのほかの本を買い、コーヒー買って、結局Amazonで注文となりましたhappy02

芸術人類学

インヴェンション (La science sauvage de poche)

最近いつも絵画展に行っては、“人々が何を思考してきたのか” “ヨーロッパと日本文化の中でどこに視点、思考の違いがあるのか”

な~んて、どうでも良いような壮大な問いがありまして~spa

日本のアニメ文化。

これは、対象物を単純化しデザインすることに長けている日本人の得意とするところなのかなぁ~?

奈良美智や村上隆に代表されるようなポップアートから来ているし、それを言うなら鳥獣戯画は日本最古の漫画と言っていい。

でも、尾形光琳の燕子花(かきつばた)屏風。。(土牛や光琳は画像がひっぱってこれずスミマセン)

美しいけど、極限まで単純化しデザイン化されて、何か肉迫してくるものが少ないような気がしていたのですが、中沢新一さんがこれに近いことを言われていて、“お~おもしろ~い!”と、かなり頷きつつ見ていたのです。。

光琳は江戸初期の画家。

江戸初期でも、少し前に生まれ活躍していた宗達の“風神雷神図屏風”を、模写していて、かなり似通ったものではあるのですが、宗達に在ったものが光琳では削ぎ落されている。。と。。

音楽で言うところの、ジャズのような即興性。

野性味溢れる、生命のほとばしりのような、感情の表現。。

そういったものが、そぎ落とされてゆく。

それは、ある意味、単純化、形式化、純粋化された“美”であったのかもしれません。

高度な技術と洗練された形式美。

けれど、フォルムを重視することで、そぎ落とされてしまった“肉声”のような深い世界が、どこかへ追いやられてしまう結果になったのではと思ってしまうのです。

以前にも“型”から入る傾向が、われわれ日本人には強く出ているのでは・・・と書いたことがありますが、なかなか“型破り”ともならず、“型”の中にいることで安心し、その事が評価の対象にもなってしまう。

これ、子供の学習塾や教育方法、はたまたピアノ教育界にも言えているような気がしてなりません。

そしてついでに、本屋さんで面白そうな本を見つけたので、ついつい買ってしまいました~coldsweats01

一冊の単価が高い。。sweat01

先日も何冊か買ったら、「1万7千円です」と言われ、あちゃ~sweat02・・でしたが・・・

今日も2冊だけなのに、6千円ぐらい払いました・・・sweat02・・・とほほ・・・オヤツヌキだ・・・

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とほほ~~読むスピードが追い付いていない~~

ぁ・・・でも、2番目の画像中5冊は読みました。

連休は、卒業生との“飲み”&“読書”かな~?

“ソウジ”もせねば!!~~pig

無知の知・・・知らないということを知っている・・・ということ

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「無知の知」

ご存知でしょうか?

ソクラテスが2500年も前に言っていたようです。

2500年前の古代ギリシャ。。

とても遠い世界のようにも感じますが、言っていることはそんなに難しいことじゃない。

明治時代に海外から導入した学問に「哲学」・・・と名付けてしまったことで、えらく難しいこと・・・と言う錯覚の様なものが生まれたと言われています。

「ただ生きるな。 より善く生きよ。」

より善く生きる。

その事を問い続けているのでしょう。

人は何故に生まれて生きて死ぬんだろう。

私とは誰だ。

何故にこの宇宙が存在するのか。

等々。。

何か・・・を問い続けているだけです。

そんなに難しいことじゃない。

子供でもふとした時に感じ、考える事。

なんで? なんで?

と聞きますよね。

子供って哲学しています。

じゃぁなんでピアノ教師が??

って・・・

絵を観よう、本を読もう、いい音楽を聴こう。

心の栄養の為に大切なこと。

で、その作者たちが、何を考え求め続けたって、そういうことなんですよ。。

ラファエロやダヴィッドのの画にも、ソクラテスは登場します。

1500年ごろに描かれたラファエロの「アテネの学堂」には、古代ギリシャの賢人が数多く登場しますし、1787年に描かれたダヴィッドの「ソクラテスの死」は、その最期をめぐる物語を絵画に収めています。

作者も、「より善く生きる」とは・・・

と考え続けていたことでしょう。

音楽の作品も、このような問いは内在していて、ドビュッシーなど、本当に古代ギリシャには憧れを抱いていたようです。

実際それを反映させた作品もありますしね。

ソクラテスについて・・・

プラトンの『ソクラテスの弁明』においてソクラテスが語ったところによると、彼独特の思想・スタイルが形成されるに至った直接のきっかけは、彼の弟子のカイレフォンが、デルポイにあるアポロン神託所において、巫女に「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねてみたところ、「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えられたことにある。これを聞いて、自分が小事・大事ともに疎くて賢明ではない者であると自覚していたソクラテスは驚き、それが何を意味するのか自問した。さんざん悩んだ挙句、彼はその神託の反証を試みようと考えた。彼は世間で評判の賢者たちに会い、その人々が自分より賢明であることを明らかにして神託を反証するつもりであった。

しかし、実際に賢者と世評のある政治家詩人などに会って話してみると、彼らは自ら語っていることをよく理解しておらず、そのことを彼らに説明するはめになってしまった。それぞれの技術に熟練した職人達ですら、たしかにその技術については知者ではあるが、そのことを以って他の事柄についても識者であると思い込んでいた。

こうした経験を経て、彼は神託の意味を「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばかり優っている」ことを指しているのだと理解しつつ、その正しさに確信を深めていくようになり、更には、「神託において神がソクラテスの名を出したのは一例」に過ぎず、その真意は、「人智の価値は僅少もしくは空無に過ぎない」「最大の賢者とは、自分の知恵が実際には無価値であることを自覚する者である」ことを指摘することにあったと解釈するようになる。こうして彼はその「神意」に則り、それを広める「神の助力者」「神への奉仕」として、ソフィスト達のように報酬を受け取るでもなく、家庭のことも省みず、極貧生活も厭わずに歩き廻っては出会った賢者たちの無知を指摘していくことをライフワークとするようになる

知らないことを自覚することなく知っていると思うより、知らないということを知っている方が、賢明であるという考えは、現代でも全く同じですね。

哲学・・・と言う言葉の響きが、難しさ・・・を感じさせているのかも知れません。

「より善く生きる」「真善美」を求める心。

キレイごとではないんです。

本当に心や魂が喜びます。

絵を観る時、本を読んだり音楽を聴いたり。

それはただただ綺麗・・・と言うばかりでない、深い意味が込められている。

その謎解きをするのが面白く、人生の醍醐味と言えるかもしれませんね。

そうそう!

林檎さんからのコメント、すごく興味深かったので、皆さまにもお伝えします。

“自然からの贈り物・・・そして恩恵”の回に、寄せて下さったコメントの中で、

「潮の満ち引きは、一分間に18回(呼吸も同じ)で、18の2倍は体温の36℃、36の2倍は脈拍の72、72の2倍は血圧の144・・・・・」

これは知らなかったので、すごく感動しました!

でも、「ああ、やっぱりそうだよね。私たちは自然の造形物のひとつで、宇宙の節理の元に生きている」

間違いないなぁ~!

そんな感想です。

ご興味ある方は、コメントクリックしてご覧くださいpig

「私たちは、驚くために存在する」ゲーテ

だそうです。。

ゲーテはベートーヴェンと友人でしたしね~

ではでは~~fuji

青柳いづみこ先生・・・本物って・・・

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ここのところ、いづみこ先生がFacebookでも文章を載せていらっしゃいます。

少し前のblogでも書きましたが、27~8年・・・およそ30年近く以前から、青柳いづみこ先生の文章が好きで、よく本を買い求めて読んでいました。

初期の頃は、音楽雑誌へ投稿された文章から、、本は数えたらちょうど10冊でした。

いづみこ先生ご本人の承諾も得ていますので、Facebookからの文章を、これからも引用しご紹介できればと思います。

本当に聴く耳のある方の文章は、素晴らしいです。

うわべではないのです。

とあるコンクールに関して・・・

長くなりますが、出来れば頑張って読んでみて下さいchick

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よこすかピアノコンクール

4月29日、第5回野島稔コンクールの本選を聴いた。

会場は京急線汐入のよこすか芸術劇場。写真は汐入から観音崎行きのバスに乗って走水神社で降りたところの海。小さな釣り舟が出ていて、周辺には新鮮な魚を食べさせる店がたくさんある。
...
野島稔さんは、中村紘子さんと同世代の国際的ピアニスト。桐朋で井口愛子先生の薫陶を受け、モスクワ音楽院で、第1回ショパン・コンクール優勝者のレフ・オボーリンに師事。1969年にヴァン・クライバーン・コンクールで第2位に入賞している。

若いころの野島さんは、どちらかというとヴィルトゥオーゾ系のピアニストというイメージが強かったが、何年か前、軽井沢八月音楽祭でベートーヴェンの後期ソナタを拝聴したときは、堅牢な技巧はそのまま、見事に熟成した音楽に感動し、楽屋にかけつけたことを思い出す。何より、会場に置かれたスタインウェイがざくざく鳴っていたのが印象的だった。そのときは、海外で活躍する日本の中堅-若手ピアニストが顔をそろえていたが、みんな野島さんに持っていかれた・・・感があった。

横須賀芸術文化財団の主催で2年に一度開催されてきたこのコンクールは、これから海外にはばたく新進ピアニストの発掘と育成を目的としている。1800人収容、5階まである大劇場で2つの予選から本選までをおこなう。曲目も、1次予選がショパンやリスト、ラフマニノフなどの練習曲、2次予選はベートーヴェンのソナタ全曲、本選は40分の自由なプログラム。実にシンプルかつ骨太の、いわゆるグランドマナーピアニスト向けのプログラムである。

2014年の本選に残った8名のうち、7名までが男性だったのも、そんなコンクールのコンセプトが反映されているのかもしれない。

ところが、蓋をあけてみると、優勝したのは紅一点の野上真梨子さんだった。この3月に桐朋音大を卒業、2010年のショパンコンクールにも出場しているから、ファイナリストの中でキャリアはダントツだ。音楽マンガ『ピアノの森』が映画化されたとき、“誉子”役のピアノも担当しているという。

リスト『スペイン狂詩曲』は手のうちにはいった演奏だった。身体の使い方がうまく、細かい音がすべてクリアに鳴りきっていて気持ちがよい。しかし、彼女が客席にため息をつかせたのは、スクリャービン『左手のためのノクターン』だろう。右手をスツールの上に置いて、左手一本でしっとりと歌いあげる。憂愁と激情を親指に託し、伸縮自在の美しいアルペッジョでふちどる。同じスクリャービンの『ソナタ第5番』も、濃淡のつけ方、間のとり方、陶酔感の演出がうまく、実に大人な演奏だった。

私が個人的に応援していたのは、同率の2位になった白瀬元さん。芸大付属高校の3年生という若さ。とても身体が大きく、手も大きく、万事に余裕が感じられる。ショパンの『舟歌』ではむずかしいコーダも羽根のように軽く、ポエジーも豊かで感心した。ドビュッシー『喜びの島』も、胸のすくような演奏。楽器の音響を自在にあやつり、まっすぐつっこまずにすっとフェードアウトさせたり、かと思うと爆発させたりする。細かいテクニックも力業もそなえている。

プロコフィエフの『ソナタ第7番』も、鋭いスタッカート、切れのよいオクターヴとともに、弱音の美しさとポリフォニーの巧みな処理に魅せられた。2楽章の滔々たるメロディと、わざとぶつけられたグロテスクな響きも印象に残っている。フィナーレでは興奮したかテンポが上がりすぎてしまい、終盤になってやや鮮やかさを欠いたのが惜しまれる。

入賞はならなかったが、東京音大大学院の杉本太さんの演奏も個性的でおもしろかった。ドビュッシー『水の精』は、いかにも妖精らしく、気まぐれでコケティッシュな魅力に満ちている。ヴォードヴィルの芸人を模写した『風変わりなラヴィーヌ将軍』も、創意工夫に富んだコミカルな解釈で好感を持った。
ムソルグスキー『展覧会の絵』は、場面転換が巧みで、それぞれの情景が浮かびあがってくる。残念だったのは、「殻をつけたひなどりの踊り」などでタッチがややパンチ不足だったことと、フィナーレで、オーケストラ的なひろがり、爆発的な音響が不足していたこと。身体の使いかたをもう少し工夫する必要がありそうだ。

杉本さんは演奏後に3回おじぎして客席の笑いを誘っていた。パフォーマンスなのだから、会釈でも個性をみせるのは大事なことだろう。

熱演がむくわれなかった形になったのは、最後に演奏した小林遼さん。東京音大の3年生である。リスト『ソナタ』は非常にテンションの高い演奏で、30分の大作なのに少しも冗長さを感じさせない。構成力があり、モノローグも美しかった。しかし、フォルテではやや打鍵が粗く、楽器に無理じいさせる傾向があるのは残念。そのあとにプロコフィエフ『トッカータ』をもってきたのはトライアスロン・レースのよう。だんだん音がやせてくるし、休みなく上下動をつづける前腕が心配になった。

8人のファイナリストには大学2年生が3人いた。1994年生まれ、早生まれなら95年生まれ。フィギュアスケートの羽生結弦、村上佳奈子、水泳の萩野公介と瀬戸大也、野球の大谷翔平や藤浪晋太郎と同学年。スポーツでは黄金世代なのだ。

野島コンクールの3名も、それぞれ大物ぶりを垣間見せた。

白瀬さんとともに2位にはいった高倉圭吾さんは、前回のファイナリストで東京芸大の2年生。フランクの『前奏曲、コラールとフーガ』、リスト『ダンテを読みて』という重量級の作品のレヴェルをそろえて弾ききった。個人的には、もう少し多彩な音色が欲しかったのと、さらに大きな拡がりの中で立体的につくれるとよかったと思う。

モーツァルトの『幻想曲ニ短調』とシューマン『謝肉祭』を組み合わせた山西寮さんは、桐朋の2年生。『謝肉祭』のキャラクターの弾きわけには不満もあったが、身体能力に優れ、「パガニーニ」など軽々と弾いている。教え込まれたというよりは、こう弾きたいんだという気持ちが伝わってくるきて、こちらも楽しくなる。ワルツのリズムはもう少し研究する必要があるけれど。

シューベルトの『ソナタ変ロ長調』を弾いた西原瑠一さんも桐朋。若いのにどうしてこのソナタなんだろうと不思議だったが、けれん味のないピアノで、息の長い音楽を細工せずに悠々と弾いていくさまはたのもしかった。フィナーレなどでもう少し細かい音が立つと活き活きした演奏になるだろう。

94年組の10年上、高校生の白瀬さんとはひとまわりも違う相原一智さん(芸大大学院修了)は、スクリャービンの作品42のエチュードとシューマン『フモレスケ』という渋い選曲。ドイツ人にしかわからないといわれる「フモール」は、英語のユーモアとも米語のジョークとも違う、もっと哲学的な概念なんだそうだ。相原さんは、秘められた悩みやしみじみした喜び、突然の上機嫌など、聴かせるのがむずかしい作品を巧みにまとめていた。

熱演を聴いたあとは、どぶ板通りの横須賀海軍カレー本舗へ。イギリス水兵が食べていたカレー味のシチューを、明治41年に書かれた『海軍割烹術参考書』をもとに再現したもので、昔なつかしい味がする。東郷ビールとカレーで身体がポカポカした。
写真: よこすかピアノコンクール

4月29日、第5回野島稔コンクールの本選を聴いた。

会場は京急線汐入のよこすか芸術劇場。写真は汐入から観音崎行きのバスに乗って走水神社で降りたところの海。小さな釣り舟が出ていて、周辺には新鮮な魚を食べさせる店がたくさんある。

野島稔さんは、中村紘子さんと同世代の国際的ピアニスト。桐朋で井口愛子先生の薫陶を受け、モスクワ音楽院で、第1回ショパン・コンクール優勝者のレフ・オボーリンに師事。1969年にヴァン・クライバーン・コンクールで第2位に入賞している。

若いころの野島さんは、どちらかというとヴィルトゥオーゾ系のピアニストというイメージが強かったが、何年か前、軽井沢八月音楽祭でベートーヴェンの後期ソナタを拝聴したときは、堅牢な技巧はそのまま、見事に熟成した音楽に感動し、楽屋にかけつけたことを思い出す。何より、会場に置かれたスタインウェイがざくざく鳴っていたのが印象的だった。そのときは、海外で活躍する日本の中堅-若手ピアニストが顔をそろえていたが、みんな野島さんに持っていかれた・・・感があった。

横須賀芸術文化財団の主催で2年に一度開催されてきたこのコンクールは、これから海外にはばたく新進ピアニストの発掘と育成を目的としている。1800人収容、5階まである大劇場で2つの予選から本選までをおこなう。曲目も、1次予選がショパンやリスト、ラフマニノフなどの練習曲、2次予選はベートーヴェンのソナタ全曲、本選は40分の自由なプログラム。実にシンプルかつ骨太の、いわゆるグランドマナーピアニスト向けのプログラムである。

2014年の本選に残った8名のうち、7名までが男性だったのも、そんなコンクールのコンセプトが反映されているのかもしれない。

ところが、蓋をあけてみると、優勝したのは紅一点の野上真梨子さんだった。この3月に桐朋音大を卒業、2010年のショパンコンクールにも出場しているから、ファイナリストの中でキャリアはダントツだ。音楽マンガ『ピアノの森』が映画化されたとき、“誉子”役のピアノも担当しているという。

リスト『スペイン狂詩曲』は手のうちにはいった演奏だった。身体の使い方がうまく、細かい音がすべてクリアに鳴りきっていて気持ちがよい。しかし、彼女が客席にため息をつかせたのは、スクリャービン『左手のためのノクターン』だろう。右手をスツールの上に置いて、左手一本でしっとりと歌いあげる。憂愁と激情を親指に託し、伸縮自在の美しいアルペッジョでふちどる。同じスクリャービンの『ソナタ第5番』も、濃淡のつけ方、間のとり方、陶酔感の演出がうまく、実に大人な演奏だった。

私が個人的に応援していたのは、同率の2位になった白瀬元さん。芸大付属高校の3年生という若さ。とても身体が大きく、手も大きく、万事に余裕が感じられる。ショパンの『舟歌』ではむずかしいコーダも羽根のように軽く、ポエジーも豊かで感心した。ドビュッシー『喜びの島』も、胸のすくような演奏。楽器の音響を自在にあやつり、まっすぐつっこまずにすっとフェードアウトさせたり、かと思うと爆発させたりする。細かいテクニックも力業もそなえている。

プロコフィエフの『ソナタ第7番』も、鋭いスタッカート、切れのよいオクターヴとともに、弱音の美しさとポリフォニーの巧みな処理に魅せられた。2楽章の滔々たるメロディと、わざとぶつけられたグロテスクな響きも印象に残っている。フィナーレでは興奮したかテンポが上がりすぎてしまい、終盤になってやや鮮やかさを欠いたのが惜しまれる。

入賞はならなかったが、東京音大大学院の杉本太さんの演奏も個性的でおもしろかった。ドビュッシー『水の精』は、いかにも妖精らしく、気まぐれでコケティッシュな魅力に満ちている。ヴォードヴィルの芸人を模写した『風変わりなラヴィーヌ将軍』も、創意工夫に富んだコミカルな解釈で好感を持った。
ムソルグスキー『展覧会の絵』は、場面転換が巧みで、それぞれの情景が浮かびあがってくる。残念だったのは、「殻をつけたひなどりの踊り」などでタッチがややパンチ不足だったことと、フィナーレで、オーケストラ的なひろがり、爆発的な音響が不足していたこと。身体の使いかたをもう少し工夫する必要がありそうだ。

杉本さんは演奏後に3回おじぎして客席の笑いを誘っていた。パフォーマンスなのだから、会釈でも個性をみせるのは大事なことだろう。

熱演がむくわれなかった形になったのは、最後に演奏した小林遼さん。東京音大の3年生である。リスト『ソナタ』は非常にテンションの高い演奏で、30分の大作なのに少しも冗長さを感じさせない。構成力があり、モノローグも美しかった。しかし、フォルテではやや打鍵が粗く、楽器に無理じいさせる傾向があるのは残念。そのあとにプロコフィエフ『トッカータ』をもってきたのはトライアスロン・レースのよう。だんだん音がやせてくるし、休みなく上下動をつづける前腕が心配になった。

8人のファイナリストには大学2年生が3人いた。1994年生まれ、早生まれなら95年生まれ。フィギュアスケートの羽生結弦、村上佳奈子、水泳の萩野公介と瀬戸大也、野球の大谷翔平や藤浪晋太郎と同学年。スポーツでは黄金世代なのだ。

野島コンクールの3名も、それぞれ大物ぶりを垣間見せた。

白瀬さんとともに2位にはいった高倉圭吾さんは、前回のファイナリストで東京芸大の2年生。フランクの『前奏曲、コラールとフーガ』、リスト『ダンテを読みて』という重量級の作品のレヴェルをそろえて弾ききった。個人的には、もう少し多彩な音色が欲しかったのと、さらに大きな拡がりの中で立体的につくれるとよかったと思う。

モーツァルトの『幻想曲ニ短調』とシューマン『謝肉祭』を組み合わせた山西寮さんは、桐朋の2年生。『謝肉祭』のキャラクターの弾きわけには不満もあったが、身体能力に優れ、「パガニーニ」など軽々と弾いている。教え込まれたというよりは、こう弾きたいんだという気持ちが伝わってくるきて、こちらも楽しくなる。ワルツのリズムはもう少し研究する必要があるけれど。

シューベルトの『ソナタ変ロ長調』を弾いた西原瑠一さんも桐朋。若いのにどうしてこのソナタなんだろうと不思議だったが、けれん味のないピアノで、息の長い音楽を細工せずに悠々と弾いていくさまはたのもしかった。フィナーレなどでもう少し細かい音が立つと活き活きした演奏になるだろう。

94年組の10年上、高校生の白瀬さんとはひとまわりも違う相原一智さん(芸大大学院修了)は、スクリャービンの作品42のエチュードとシューマン『フモレスケ』という渋い選曲。ドイツ人にしかわからないといわれる「フモール」は、英語のユーモアとも米語のジョークとも違う、もっと哲学的な概念なんだそうだ。相原さんは、秘められた悩みやしみじみした喜び、突然の上機嫌など、聴かせるのがむずかしい作品を巧みにまとめていた。

熱演を聴いたあとは、どぶ板通りの横須賀海軍カレー本舗へ。イギリス水兵が食べていたカレー味のシチューを、明治41年に書かれた『海軍割烹術参考書』をもとに再現したもので、昔なつかしい味がする。東郷ビールとカレーで身体がポカポカした。
spade読者からのコメント(パリ在住のピアニストの方のようです)
コンクールの様子が生き生きと伝わって来てまるで会場で聞いたような錯覚を起こしそうなコメントで面白かったです。
spadeピアニスト・文筆家 青柳いづみこ来年はショパンコンクールの本を書くことになりました。旧共産圏でピアノ修業した人たちの手記など読むと、実に段階をふんだコンクールの受け方をしています。それで、日本は何でも民間なのでむずかしいのですが、先輩たちは凄く努力をしているという印象です。

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写真: 本物の音楽を求めて

写真はフランスでの恩師、ピエール・バルビゼ。
ヴァイオリニストのクリスチャン・フェラスとのデュオで知られ、1963年から1990年に亡くなるまで、マルセイユ音楽院の院長兼ピアノ科教授をつとめた。

先日、フランスの室内楽奏者、クリスチャン・イヴァルディの公開講座を聴講していたら、フェラス=バルビゼの話が出た。彼らはすべてのソナタを暗譜して弾いていた、と。室内楽の場合、奏者たちは譜面を見て弾くのが普通である。しかしフェラス=バルビゼはヴァイオリンもピアノも暗譜だった。

私がマルセイユ音楽院に留学する一年前、フェラス=バルビゼはシャンゼリゼ劇場でデュオ25周年を記念するリサイタルを開催し、ベートーヴェン『春』、ブラームスの3番とフランクのソナタを演奏している。しかし、翌75年にパリ音楽院の教授に迎えられたフェラスは、演奏活動から退く決意をする。このときまだ42歳だった。

13歳でパリ音楽院を卒業し、演奏活動にはいったフェラスは、そのころから家族の生活を担っていた。一般的な勉強はリセ(高等中学)止まりである。まるでサルタンバンク(サーカス芸人)の物語のようだった、とバルビゼは回想している。文学や絵画に造詣の深いバルビゼは、演奏旅行の合間にフェラスに教養をさずけた。

拙書『ピアニストが見たピアニスト』にも書いたことだが、2人はいつも一緒で、毎朝一緒に練習した。新しいソナタを譜読みするときは、メニューインやケンプなど、当時の大家たちのスタイルを真似して楽しんだという。譜読みしたソナタは演奏旅行の移動中に車の中で暗譜した。2ともお互いのパートまでおぼえたので、目的地に到着したときはすぐに弾くことができたという。

1963年1月29日にテレビ放映されたフランクのソナタは、EMIからDVDで出ている。雄大でロマンティックなフェラスのヴァイオリンを支えながら、要所要所でひきしめるバルビゼのピアノ。
しかし、バルビゼはこの年の秋にマルセイユ音楽院の院長に就任、教育に力を入れるようになる。ちょうどそのころ、フェラスもカラヤンに認められ、ベルリン・フィルとの共演が主になった。

フェラスが演奏活動に復帰するのは1982年のことである。4月にはマルセイユの教会でバルビゼとのデュオ・リサイタルも開いた。しかし、昔のようにはいかなった。フェラスはアルコール依存症になり、ヴァイオリンも売り、その年の8月に自ら命を絶った。フェラスの死とともにデュオの生命も絶たれた。

チリ生まれのバルビゼは、パリ音楽院を卒業したにもかかわらず母校が嫌いだった。パリでやっている音楽は冷たい、スノッブで深みに欠けると感じていたようだ。1973年にはパリ音楽院の教授に任命されたものの、たった1年努めただけでやめてしまった。

自分の母親はヴァイオリンを弾いた、というのがバルビゼの口癖だった。歌う旋律、躍動するリズム、有機的なハーモニー、形式ばらない構造。でも、作曲家の意図に忠実な、本物の音楽。

バルビゼのレッスンは、上からみおろして指導するのではなく、自分の解釈をおしつけるのでもなく、生きた「本物の音楽」を生徒と一緒に捜す作業だった。形だけつくって中身を入れない演奏も、逆に個人的な感情だけに頼る演奏も即座に否定された。クラス全員で、「本物の音楽」が誕生し、育まれていく過程を見守った。

あまりに本物を求めすぎると生きるのがつらくなるかもしれない。偽物が横行していることにストレスを感じるかもしれない。バルビゼは酒を飲み、大病をして医者から禁止されても飲みつづけた。喜怒哀楽が激しく、日常生活では気むずかしい人だった。1990年1月18日、68歳で睡眠中の心臓発作で亡くなった。3月に京都フランスアカデミーの講師として来日する直前のことである。

先日再会したフィリップ・カサールも子供のころバルビゼのレッスンを受けている。個人レッスンをとり、マルセイユの自宅に行っても先生はなかなか出てこない。うんざりするぐらい待ってもう子供が寝る時間になってからようやくレッスンしてくれた。忘れられないレッスンだった・・・。

高名なピアニスト、エレーヌ・グリモーは著書『野生のしらべ』でこんなことを語っている。
「なんと言ってもすばらしいのはその心の寛さだった・・・惜しみなく与え、イメージで沸きかえるひとつの詩情のなかですべてを与えた。韻律やリズムや色彩を引き合いに出しながら、ひとつの曲の鍵を提供する。物語を語り、笑い話をする。するとすべてが明白になる・・・」

バルビゼの教えは、たくさんの生徒たちの心の中で生きている。
(前半略・・・もっと詳しく読みたい方は、ここをクリックしてくださいピアニスト・文筆家 青柳いづみこ)
バルビゼのレッスンは、上からみおろして指導するのではなく、自分の解釈をおしつけるのでもなく、生きた「本物の音楽」を生徒と一緒に捜す作業だった。形だけつくって中身を入れない演奏も、逆に個人的な感情だけに頼る演奏も即座に否定された。クラス全員で、「本物の音楽」が誕生し、育まれていく過程を見守った。

あまりに本物を求めすぎると生きるのがつらくなるかもしれない。偽物が横行していることにストレスを感じるかもしれない。バルビゼは酒を飲み、大病をして医者から禁止されても飲みつづけた。喜怒哀楽が激しく、日常生活では気むずかしい人だった。1990年1月18日、68歳で睡眠中の心臓発作で亡くなった。3月に京都フランスアカデミーの講師として来日する直前のことである。

先日再会したフィリップ・カサールも子供のころバルビゼのレッスンを受けている。個人レッスンをとり、マルセイユの自宅に行っても先生はなかなか出てこない。うんざりするぐらい待ってもう子供が寝る時間になってからようやくレッスンしてくれた。忘れられないレッスンだった・・・。

高名なピアニスト、エレーヌ・グリモーは著書『野生のしらべ』でこんなことを語っている。
「なんと言ってもすばらしいのはその心の寛さだった・・・惜しみなく与え、イメージで沸きかえるひとつの詩情のなかですべてを与えた。韻律やリズムや色彩を引き合いに出しながら、ひとつの曲の鍵を提供する。物語を語り、笑い話をする。するとすべてが明白になる・・・」

バルビゼの教えは、たくさんの生徒たちの心の中で生きている。
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どーんと、たくさんの分量のある引用をさせていただきましたが、これからを担う子供たちには、是非本物を味わってほしいものです。

たとえ趣味でも。。

いいえ、趣味だからこそ。。

大人の世代がいなくなった後からも、さらに本当の幸せを感じて生きていってほしいなぁ・・って思います。

見せかけじゃない、本物。。

ただただ甘くキラキラしているだけのものではない・・・のではないでしょうか?

ではでは~~pigcafe

心を育てる・・・目に見えないもの大切さ

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子供が勉強しないからさせないと・・・

ピアノ練習しないからさせないと・・・

etc.

etc.

。。。

悩むところですよね。。

先日、うちのスタッフの先生や、お母様方と話していて、「私たち、勉強しろって言われたことそんなにないよね」。。という話になり。。

何が違うんだろう・・・と思う訳です。

これはいつも。

私が小学3年生の頃、常にやる課題が出されていて、それを翌朝教卓に先生に見ていただくページを開けて下向きにふせ、みんなが提出する。。

それが常時出される課題でした。

日記の様なものであったり、計算や漢字だったかもしれません。

夏休みはどっさり“夏の友”以外にも課題が出て、夏休みの終わりになると、ヒーヒー言いながらやってる。。毎日の課題などは、どんなに遅くなってもやらないと気が済まないから遅い時間までやっていると、「子供は寝なさい!」と怒られる。

もちろん外遊びもたくさんしました。

「暗くなったら帰りなさいと言っているでしょう!」

と言われても、徐々に暗くなるのだから、いつを境に暗くなったのか、気付いた時は一番星も二番星も出ていた・・・なんて言うこともよくありました。

これも、けっこうたくさんの生徒さんにも言った話ですが、6年生の時は毎日4時に起きて机に向かっていました。

これ自慢話じゃないんです。

4時に起きて何やってたかって言うと、とにかく調べ物をして発表したかった。

朝4時から7時まで3時間、勉強したと記録したかった・・・きわめて単純な理由です。

テスト勉強じゃないから、当然それでものすごく成績が上がったとか、そういうんじゃない。

ただ、11歳とか12歳の子供が、毎朝起きよう。。とする“意志”だけは大変なものだと思うんです。

これが、ジョギングでもいいし。

それをやらないと気が済まない。

絶対やってやろう、と思う。

そういう心。

この子たちのそういう強い心を育てられたらなぁ・・・って。

子供が悪いわけじゃない。

子供にしてみたら、あ!そうだ!と思ったり、不思議だ~と思ったり、何だろう、、何かしら自分で感じたり考えたりする前に、どんどん与えられるから、じっくり心が育つ間もなく、たまったものじゃない・・・むろんそれに気付く間もない・・・そんな状況でしょうか?

もちろん親御さんだって一生懸命大切に育てている。

社会がどうのかと悪者を探しても無益です。

おそらく今の風潮が、早急な結果を求めすぎていて、何か目立つことがあればマスコミが騒ぎ立てるし、心穏やかでない。

どっしり構えて、目に見えないものを育むことが難しくなってくる。

目に見えて、ここまで課題をこなした、賞やご褒美をもらった、成績が上がった、有名校に入れた。

情報があり過ぎることで、穏やかな気持ちで胆を据えてじっくり見つめることが、大人も子供も難しくなっているのでしょう。

自分自身の考えとして、物事を考え感じ、葛藤を抱え、自分の内面のあらゆること(羨望、焦り、矛盾)を見つめ、ある意味苦しみ戦うことで、大人も子供も成熟するのだと思います。

昨日の奥様向け午前中の情報番組(くだらんヤツですが世の風潮が分かる)では、有名大学を出て一流企業や医師や、そんな仕事を持ちながら、親同士が代理で結婚相手を探すと・・・本人同士のお見合いでさえなく、親同士のお見合い。

それで、幸せになるかもしれないけど、じゃぁその子供は?孫は??そのまた子供は??

ケアのされ方がハンパなく、人として成熟することがあるのだろうかと、そら恐ろしくなります。

宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」に登場する“ぼう”・・・大きな大きな赤ちゃんですよね。

仕事がバリバリできるキャリアウーマンの湯ばあばも、自分の子供となるとからっきしダメで、心が成長しないまま大きな赤ちゃんとしてしか成長できていない。

しかし自分の権利だけはしっかりと主張する。

宮崎監督、言いたいことはたくさんあると思います。

私たち大人世代も、生活する中で、大変なこと、矛盾、色々なことを抱えていますよね。

そういうことを長い間抱えて考えているうちに、人生が熟成されてゆくのかもしれません。

子供たちに葛藤を与え、ストレスを感じさせることは、一見かわいそうなのですが、人としての成熟がそれなしには出来ないので、見守るしかない時もあると思います。

たかだか“ピアノ”なのかも知れませんが、色々なことが“音”に如実に表現されてしまいます。

「豪華な造花じゃなくて、道端に咲いている小さな花でいいから、生きているもの、そして自分で摘んできたものを持って来てね」

ここのところ、そんなこと言っています。

そこに芸術の真価が隠されているのだと思います。

大そうなことではないんですよ。

本当に庶民感覚として、実直に愚直に生きるってことかな。。

今日はめちゃくちゃ真面目なモードでした~

連休は、ピアノ弾いて、本読んで、生徒さんと出会って、昼間っから飲む約束なぞ~~wineshine

楽しみでございますぅ~pigsun

お久しぶりなblogです♪

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連休いかがお過ごしでしたか?

私もすっぱりOFFをいただき、充電しましたhappy01

子供たちも充電は必要。

ぐっと集中する時、パッと手放すとき。。

メリハリつけると、何だか新しい視野が開けるように思います。

blogも書きたいことは山ほどあるのですが、今日は私のOFFの様子なぞ・・・

あんまり興味ないですかね・・・coldsweats01

よろしければ・・・という事で・・・

基本OFFなので、読書とピアノとちょこっと料理・・・本当はここに“掃除”の一文字が入るはずだったのですが・・sweat02

これは削除されてしまいましたsweat01

遠い過去の卒業生や新米大学生、そして進路を考える高校生と出会っていました。

新米大学生には、まだお酒はススメられないので、ランチ。。restaurant

むかーしの卒業生とは昼間っから酒。。beer

時間気にせずに・・・と思うと、全日空がいいんじゃないかという事になり、オシャレな女子会風になりましたbarheart02

画像の料理は、全日空の1F、キタガキ、ピアノピアノ、ダックンダック・・・などです。

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卒業生Yちゃんがまだ帰省中だったので、愛知県芸でお世話になっている内本先生がイタリアのイモラ音楽院(超有名な大学です)の名で知られる名門校、イモラ国際アカデミー出身で、在伊25年の先生・・・しかも懇意にして頂いている黒田亜樹先生と親しい・・・そんな情報やら、お友達の様子やら、いろんなことを話しました。

まだこっちにいるんだったら、ヒマな時あれば、ちょっと話あるんで来ない?

って連絡したら、「この日あいてます。。なんの話か。。ちょっと怖いんですけど。」

ときたので、

「あ~ゼンゼン怖くないよ!前向きな未来のハナシ!」

というと、安心してました。

Yちゃん、なぜかイタリアと縁があって、小2か3の時、イタリアイモラ音楽院の巨匠、ペトルシャンスキー先生の公開レッスンも受けたことがあるんです。

その時はまだまだでしたけどね。

たまたまその時、私は風邪をひいていて聴きに行けず、あとでビデオ見せてもらいました。

当時中学生だったRちゃんは、ものすごくノリノリでニコニコしながら受講していたんですが、Yちゃんはまだちょっと緊張してたように記憶しています。

ペトルシャンスキー先生は、ピティナ特級G・・・だったっけ??・・・ピアニスト目指しているような精鋭たちの審査は、海外から招かれた有名な先生方がされるのですが、時々来日されているようです。

こういう先生方のコメントは、芸術的にも非常に参考になり頷けるお話が多く、大変含蓄に富んだものです。

ぁぁ・・・ちょっと脱線しましたね。。

最近ちょっといろいろ考えていることがあって、新しい方向性が見えてきていますhappy02flair

お楽しみに~shine

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ちょこちょこ読んでいて、読破とまではいっていませんが・・・

中沢新一さんの「芸術人類学」

読みやすい・・・と思いきや、それは大学生に向けての授業を文章化した単元・・・これは非常に親切かつ理解しやすく書かれていましたが、まぁ言っても大学生はまだまだ社会人ではない(まだ子供・・って言っちゃあ悪いかな??)ので、そういう口調だったけど、一般に向けての論考は非常に冴えていて、また多岐にわたる膨大な知識と学問をものにされているので、考察の広さと深さがハンパないです!

何かだけの深い専門知識でもなく、浅く広くもなく、深ーーーく、広ーーーく、、(深く広くでは足りない)。

そんな人ですね。

とうぶん、中沢新一モード。。

で。。

「日本人は思想したか」

吉本隆明(思想家・・・大変な人・・・よしもとばななさんの父)、梅原猛(哲学者)、中沢新一

この3人のディスカッションで構成されている本ですが、興味深いです。

ただし、いろいろ乱読しているので、夏までに読めるか・・・っていう話ですがね~~

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そうそう!

教室のドアに貼ってある、堤剛さんのチェロと妹の恵藤久美子さんのコンサートshine

行ってみたいなぁ~と思っています。

超一流の巨匠ですよ!

しかも学生は1000円で聴ける!

堤さんは、故斎藤秀雄の門下生。

同門には皆さんご存知の小澤征爾さんがいらっしゃいます。

って、、最近の方は全然ご存知ないのですね~sweat02

モッタイナイ・・・sweat02sweat02

ついでに、卒業生の高木伶ちゃんが、6月1日(日)13:00~14:00倉吉交流プラザ

で、ミニコンサートをするので、皆さんどうぞ聴きにいらして下さいね!!

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ヘッタクソな写真ですみませーーんsweat01

お詫びに新緑なぞ~~

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